HISTORICAL PERSON · 472年没

リキメル

西ローマ帝国末期のゲルマン系の将軍。456年にアウィトゥス帝を廃位して軍務長官となり、472年までに4人の皇帝を傀儡として擁立し、3人を廃位・殺害して実権を握った。ヴァンダル海軍も破った。

生涯
472年没
死亡地
イタリア共和国(ローマ県 / ローマ)
出生地
—
出典
世界地図
イタリア共和国(ローマ県)

伝記

リキメル(フラウィウス・リキメル)は、西ローマ帝国末期のローマ化したゲルマン人の将軍である。405年頃に生まれ、472年8月18日に没した。456年にアウィトゥス帝を廃位して軍務長官の地位に就き、死去するまでに4人の皇帝を傀儡として擁立し、3人の皇帝を廃位・殺害して国政を壟断した。彼の死の4年後に西ローマ帝国は滅亡した。リキメロスやリキメールとも表記される。

父はスエビ族の王族で、母は西ゴート王ワリアの姉妹または娘だった。スエビ族と西ゴート族の同盟は418年にワリアが没する前に結ばれ、その後継者たちは亡き王の親族と敵対したと推測される。蛮族内の主導権争いに敗れた者が西ローマ軍に入ることはしばしばあり、リキメルの家族もそうして帝国に仕えた。妹はのちにブルグント王と結婚している。リキメルは皇宮護衛隊長マヨリアヌスとともに軍務長官アエティウスに仕えており、マヨリアヌスとは親友だった。

454年から455年にかけて、アエティウスの粛清と、それを行った皇帝ウァレンティニアヌス3世の暗殺という政変が続き、西ローマ帝国には権力の空白が生じた。皇帝を宣言したペトロニウス・マクシムスは3か月で群衆に殺され、その直後にヴァンダル族のローマ劫掠が起こった。のち西ゴート王テオドリック2世がガリア軍区司令官のアウィトゥスを皇帝に擁立した。マヨリアヌスは不承不承ながら新帝への支持を表明し、アウィトゥス帝はリキメルを帝国伯に任命した。リキメルはゲルマン人傭兵の陸軍と海軍を率い、456年にヴァンダル海軍を破って最初の軍事的成功を収めた。この戦いは、シチリアへの派遣とも、コルシカ島近くでの勝利ともいわれる。この功でアウィトゥス帝はリキメルをイタリア軍区司令長官に任じた。

しかしアウィトゥス帝は奢侈と好色を非難され、ともにローマへ入った西ゴート兵の横暴も市民の憎悪を招いた。市民の暴動が起こるとリキメルがこれを焚き付け、リキメルとマヨリアヌスは公然と反旗を翻した。456年10月16日、二人の軍は皇帝軍を破ってラヴェンナを陥れ、北イタリアのプラケンティアでアウィトゥス帝を破って捕えた。廃位された帝は司教として生き長らえることを許されたが、のちに殺害されたとされる。東ローマ皇帝レオ1世はリキメルにパトリキの称号を与え、457年2月28日に軍務長官に任命した。ゲルマン系のリキメルは皇帝になれず、西ローマ帝国を解体して東ローマ帝国の代理人として統治することを望んだが、ローマ人貴族が同意しなかったため、傀儡皇帝を立てる道を選ばざるを得なかった。

457年4月1日、マヨリアヌスが兵士に推戴されて皇帝となった。リキメルは友人を操れると考えたが、マヨリアヌス帝は改革に取り組んで有能さを示し、ガリアの再征服やヒスパニア遠征で軍事的力量も見せた。ところが、ヒスパニアで建造した艦隊はヴァンダル王ガイセリックの奇襲で焼き払われ、帝はアフリカなどの支配を認めざるを得なくなった。帰還しようとした帝を、リキメルは元老院を説得したうえで北イタリアのトルトーナで捕え、461年8月3日に廃位して、8月7日に拷問のうえ斬首した。同年11月19日にはリウィウス・セウェルスを傀儡に立てたが、東ローマ皇帝は承認せず、465年に彼が死ぬとリキメルは約18か月間帝位を空けた。467年、レオ1世が指名したアンテミウスを受け入れ、その娘と結婚した。468年のヴァンダル遠征は惨敗に終わり、のちリキメルとアンテミウスの不和は深まって、リキメルは数千の兵を率いてミラノに入った。

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