HISTORICAL PERSON · 紀元前537没

メディアのダリヨス

旧約聖書のダニエル書でベルシャザルとキュロスの間にバビロン王となり、ダニエルを獅子の穴に投じる人物。史実では確認できず、多くの学者は創作とみるが、キュロスなどと同一視する試みもある。

生涯
紀元前537没
死亡地
中華人民共和国(陝西省 / アジア)
出生地
メディア
出典
世界地図
中華人民共和国(陝西省)

伝記

メディア人ダレイオスは、旧約聖書のダニエル書に、ベルシャザルとキュロス大王のあいだのバビロン王として登場する人物である。しかし世俗の歴史には知られておらず、確認できるこの二人の統治者のあいだに、歴史の年表の上で入る余地もない。ダニエル書でしばしば王とされるベルシャザルは、実際には王ではなく皇太子で総督であり、父ナボニドゥスが紀元前553年ごろから紀元前543年ごろまでアラビアにいた間、国を預かっていた。ナボニドゥスはバビロン帝国の滅亡よりも何年も前に帰還している。多くの研究者は、このダレイオスを文学上の創作と見ている。一方、聖書と歴史を調和させようとして、キュロス、キュアクサレス2世、あるいは紀元前539年にペルシアに降ったバビロンへ最初に入った将軍ゴブリュアスなど、既知の人物に当てはめる試みもある。

ダレイオスが最初に現れるのは、ダニエル書5章のベルシャザルの饗宴の物語である。バビロンの王ベルシャザルが大宴会を開くと、手が現れて壁に文字を書く。ダニエルはそれを解き明かし、ベルシャザルは量られて足りないと判定され、王国はメディア人とペルシア人に分けられると告げる。物語は、その夜にカルデア人の王ベルシャザルが殺され、メディア人ダレイオスが王国を受けたと結ばれる。

6章はライオンの穴のダニエルの物語である。ダニエルはダレイオスのもとでも宮廷に仕え、高い地位に上げられていた。これをねたむ政敵たちは、王自身以外のいかなる神や人にも祈りを捧げてはならず、背けば死に処するという禁令を、ダレイオスをだまして出させる。ダニエルはイスラエルの神に祈り続けた。王は深く心を痛めながらも、メディア人とペルシア人の法は改められないため、ダニエルを獅子の穴に投げ込ませるほかなかった。夜明けに王が急いで穴へ行くと、ダニエルは神が御使いを遣わして救ったと語る。ダレイオスは、ダニエルを陥れようとした者たちを、その妻子とともに代わりに獅子へ投げ込ませるよう命じた。最後の登場は9章で、終わりの時の苦難とイスラエルの民の勝利に関するダニエルの幻の記述にあり、ここでは「アハシュエロスの子ダレイオスの元年」と、幻の時期を示す目印として言及される。

歴史の側から見ると、メディア人はイラン系の民で、紀元前612年にはバビロニア人とともにアッシリアを倒すほどの政治勢力になっていた。しかしその王国は紀元前550年(紀元前553年とする説もある)、南西イランのアンシャンのペルシア王キュロス大王に征服されて終わった。地中海から中央アジアにまで版図を広げたキュロスは、次にバビロニアに目を向けた。征服を伝える主な古い記録には、ナボニドゥスの年代誌、キュロスの円筒形碑文、そして名前に反してキュロスの依頼で作られたナボニドゥスの韻文記録がある。

キュロスのバビロニア遠征は紀元前539年に始まった。10月10日にオピスで勝利して、バビロンへの道が開かれ、12日にはグティウム地方の総督ウグバルとキュロスの軍が戦わずにバビロンへ入った。ウグバルは、ギリシアの歴史家クセノフォンが記すゴブリュアスと同一人物とみられ、ペルシア側についたバビロニアの州総督である。キュロス自身の入城はその数日後で、ナボニドゥスは捕らえられたが命は助けられた。ベルシャザルの運命については何も分かっていない。なお、ダニエル書は歴史の信頼できる手引きとはみなされておらず、ダニエルも歴史上の人物ではないというのが大方の見方である。全体はセレウコス朝のアンティオコス4世の迫害を背景に、紀元前164年の少し後に完成したと考えられている。

同じ年に亡くなった人物

該当人物はまだありません。

同じ地域に関係する人物