HISTORICAL PERSON · 1284年(推定)没

イブン・アン=ナフィース

アラブの博識家で、医学や生理学、解剖学など幅広く研究した。血液の肺循環を最初に記述した人物として知られ、その研究はハーヴェイより前にあたる。

生涯
1284年(推定)没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

イブン・アン=ナフィースは、医学、外科、生理学、解剖学、生物学、イスラーム学、法学、哲学など幅広い分野で活動したアラブの博識者である。正しくはアラーウッディーン・アブー・アルハサン・アリー・イブン・アビー・ハズム・アルクラシーといい、血液の肺循環を最初に記述した人物として知られる。その右心系の循環に関する業績は、1628年のウィリアム・ハーヴェイの著作より前のものである。循環系についてはガレノスの説がイブン・アン=ナフィースの研究まで覆されなかったため、「循環生理学の父」とも呼ばれる。また「第二のイブン・スィーナー」と評されることもある。

1210年から1213年の間に、ダマスカスのアラブの家に生まれた。「アルクラシー」という呼び名の由来には諸説あり、ダマスカス近郊の村の名に由来するとする説もあるが、有力な伝記作者たちはクライシュ族のマフズーム家の出身を意味すると見ている。若いころは神学、哲学、文学を学び、16歳で医学を学び始めて、ダマスカスのヌール病院で10年以上にわたって修学した。同時代の著名な医師イブン・アビー・ウサイビアとは、ともにダフワールという医学校の創設者に学んだが、イブン・アビー・ウサイビアは自らの医師列伝にイブン・アン=ナフィースの名を全く挙げていない。個人的な反感か競争心によるのかもしれないとされる。

1236年、アイユーブ朝のスルタン、アル=カーミルの求めに応じて同僚たちとエジプトへ移り、サラーフッディーンが創設したナースィリー病院の主任医師となった。そこで数年にわたって医学を教え、診療を行い、著名な弟子には、キリスト教徒の医師イブン・アル=クッフがいた。マスルーリーヤ学院では法学も教えた。生涯の大半をエジプトで過ごし、バグダードの陥落とマムルーク朝の台頭という大事件を目の当たりにした。スルタンのバイバルスをはじめ有力な政治家たちの侍医も務めたという。74歳のとき、新設されたマンスーリー病院の主任医師に任じられ、亡くなるまでそこで働いた。

数日の病の末にカイロで没した。弟子のサフィー・アブー・アルファトフは彼を悼む詩を作った。死に先立ち、自宅と蔵書をカラーウーン病院に寄付した。著した医学書は110巻以上と見積もられている。最大の著作は『医学大全』で、300巻の百科事典として計画されたが、完成したのは80巻にとどまった。それでも一人の著者による最大級の医学百科事典とされ、当時のイスラーム世界の医学知識を総括していた。その蔵書とともにマンスーリー病院に遺贈されたが、巻は散逸し、エジプトに現存するのは2巻のみである。エジプトの学者ユースフ・ズィーダーンが、世界各地の図書館に分かれた写本を集めて調べる計画を始めた。29歳のときに出した『イブン・スィーナー「医学典範」解剖学注解』は、多くの人にその最も有名な著作とみなされている。

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