伝記
テオクリトスは、古代ギリシアのヘレニズム期の詩人である。牧歌というジャンルを創り出した人物とされ、『小情景詩』(牧歌、エイデュリア)32編の作者として知られる。シチリアの出身で、生年は紀元前310年から318年ごろとも、紀元前300年ごろともいわれる。没年は紀元前270年以降、あるいは紀元前260年以降とされるが、はっきりしない。
伝記の細部は乏しく、作品から推測された部分が多い。詩集に収められた作品には、本人の作かどうか疑わしいものも少なくない。早い時期に二つの集成が作られ、一方は作者の疑わしい牧歌詩をまとめ、もう一方は本人の作とみなされるものだけを集めた。前者に近い、より大きな集成を、後世のスダ辞典の著者が知っていた。辞典は、テオクリトスがドーリア方言でいわゆる牧歌を書いたとし、『プロイトスの娘たち』『希望』『賛歌』『悲歌』『エピグラム』など、ほかの作品も彼のものとする人がいると記す。ある無名のエピグラムは、自分はシュラクサイの大衆の一人で、父はプラクサゴラス、母は名高いピリンナだと語っており、この親の情報は信頼できるとされる。この詩が、シミコスの子とする別の説の誤りを正すもので、シュラクサイ出身という説も、作品中のほのめかしによって支持されている。
おおよその足跡は次のようにたどられている。紀元前290年から283年ごろ、コス島でプトレマイオス2世の家庭教師だったピレタスに師事し、ニキアス、アスクレピアデス、レオニダスらとともに学んだ。この時期に『牧歌』第1、3、6、8、11、12歌を書いたとされる。紀元前285年から275年にはシチリアへ移り、第4、5、9、10歌を作った。シュラクサイの僭主ヒエロン2世に頌歌の第16歌を献上したが、保護は得られなかった。そこで紀元前274年から270年にかけて東方のアレクサンドリアに招かれ、エジプト王プトレマイオス2世の保護のもとで宮廷詩人となった。ここで親しくなったのがカリマコスで、詩作にもその詩法の影響を受けた。紀元前270年ごろにはコス島に戻り、ミレトスの許で過ごしたと説明される。
作品は広い意味での牧歌群で、愛の詩、ミーモスと呼ばれる小さな舞台風の対話劇、神話叙事詩、ヘレネーの婚礼歌、ヒエロン頌歌、プトレマイオス2世頌歌などを含む。実在のギリシア世界を背景に、牧人の暮らしと純粋な恋、自然との調和を描き、パストラルと呼ばれる文学ジャンルを創った。詩形はドーリア方言の六脚韻で、ヘシオドスの『仕事と日々』の韻律に近く、サッポーの影響も大きい。もっとも名高い牧歌は第1、6、7、11歌で、第1歌では牧人ダフニスが愛の女神アフロディテに逆らい、恋の苦しみのなかで死んでいく。第11歌では一つ目の巨人ポリュペモスが海のニンフ、ガラテイアへの恋を歌で慰め、第6歌ではその恋が癒えた姿が描かれる。第7歌「収穫祭」は牧歌のなかで最も重要とされ、舞台はコス島である。詩人は一人称で語り、友人たちからシミキダスと呼ばれる。ほかの詩人たちも仮の名で登場し、本人は自分の歌がすでにゼウスの玉座にまで届いたと語る。また、コスの老詩人ピリタスは称賛される。そのほかの牧歌には歌合戦の形をとるものが多く、後の歌い手が先の歌い手の主題を受けて、同じ主題の変奏を加えていく。日本では八木橋正雄が1981年から1985年にかけて全訳を私家版で刊行し、2004年には古澤ゆう子訳が出た。
同じ年に亡くなった人物
- メニッポス (紀元前 259年)
- ゼノドトス (紀元前259)
- ピロコロス (紀元前259)
- タレントゥムのレオニダス (紀元前 259年)
- ティマイオス (紀元前259)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。