伝記
ピロコロスは、紀元前3世紀のアテナイの歴史家で、アッティカの地方史を記す著述家(アティダグラフォス)の一人である。生年は紀元前340年ごろとされ、没年は紀元前261年、260年、あるいは259年などと伝えられ、はっきりしない。祭司を出す家柄の人で、占い師として犠牲式をつかさどり、しるしを解釈する役目を務めたという。かなりの影響力をもつ人物だったとされる。同時代にはエラトステネスがおり、後世にはアッティカの歴史家の最後にして最も重要な人物とみなされた。
政治的には強い反マケドニアの立場をとり、デメトリオス・ポリオルケテスの手厳しい敵対者だったといわれる。デメトリオスの子アンティゴノス・ゴナタスがアテナイを包囲して陥落させた際、ピロコロスは、マケドニアへの抵抗をアテナイ人に促していたエジプトのプトレマイオス2世を支持したために殺されたと伝えられる。アンティゴノス・ゴナタスに処刑されたともいう。年代は紀元前261年とも260年ともされる。
主著は十七巻からなる『アティス』で、アテナイの歴史を神話の時代から紀元前262年まで記したものである。アッティカの慣習や風俗を調べた成果をまとめた書とされ、第1巻と第2巻は神話の時代を扱い、第5巻はクニドスの海戦、第10巻はデメトリオス・ポリオルケテスを扱っていた。著者自身がこの書の要約も作り、のちにはトラレスのアシニウス・ポリオが要約を作ったと伝えられる。ローマ時代にもその名声は高かったとみられる。
ほかにも著作は多い。神託や占い、犠牲式、浄めの儀式、祭り、アテナイの競技、秘儀について書き、アッティカの四つの町からなるテトラポリスの神話や宗教行事、ソポクレスの神話、エウリピデスやピタゴラスの生涯、キプロスのサラミス建設についても著した。アルコンやオリンピアードの年代表を編み、アッティカの碑文を集めた書も作ったが、これはギリシアで最初の碑文集だったとされる。
誠実で綿密な書き手で、年代記述を重んじ、文体は明快で簡潔だったと評される。古代を通じて高く評価され、プルタルコス、アテナイオス、ストラボン、ディオゲネス・ラエルティオスなど多くの著作家や辞書編纂者、注釈者が引用した。プルタルコスは『テセウス伝』で彼を引いている。そこでは、テセウスがクレタ人タウロスと一騎討ちで勝ち、ミノス王からアテナイの人質の解放を得たという、ミノタウロス伝説とは別の合理的な話が示される。作品そのものは失われたが、二百を超える断片が残り、その大部分が『アティス』のものである。
同じ年に亡くなった人物
- メニッポス (紀元前 259年)
- ティマイオス (紀元前259)
- オロンテス3世 (紀元前259)
- タレントゥムのレオニダス (紀元前 259年)
- テオクリトス (紀元前 259年)
同じ地域に関係する人物
- アポロドーロス (紀元前150)
- コンスタンディノス・ツァツォス (1987年没)
- Stelios Kazantzidis (2001年没)
- カレス (紀元前400)
- ドゥリス (紀元前500)