伝記
チェルディッチ(ケルディックとも表記される)は、ウェセックス王国の王とされる人物で、534年に没したと伝えられる。イングランドに上陸したアングロサクソン人の王であり、ウェセックス王室の始祖と考えられてきたが、年代記の記述は考古学上の証拠と食い違う点が多く、実在性ははっきりしない。伝統的には、その治世は519年から534年とされる。
アングロサクソン年代記によれば、495年にチェルディッチは息子キュンリッチとともに、ハンプシャーへ船で上陸した。船の数は3艘とも5艘ともいわれる。508年には現地のブリトン人の王ナタンレオドと戦ってこれを敗死させ、519年にも戦いがあり、ここでウェセックス王国が創設されたと伝えられる。527年にはブリトン人と別の戦いを交えたが、その結果は分からない。530年にはワイト島を占拠し、534年に没するとこの島は、後から来た縁者のステュフとウィトガルに与えられたという。跡を継いだのは息子(孫ともいわれる)のキュンリッチである。年代記の文面どおりなら、チェルディッチは現在のイギリス王室の始祖ともいえる。
しかし、年代記の初期の部分には矛盾がある。現代イギリスの歴史学者デヴィッド・ダンヴィルは、上陸を538年から554年の間と指摘している。年代記の序文では、チェルディッチは上陸の6年後に王となって16年間在位したとされ、その治世は501年から517年にあたることになる。また、チェルディッチをバドン山の戦いでブリトン人に敗れたサクソン人の首長とみる説もあるが、ダンヴィルの修正が正しければこの説は成り立たない。この戦いの敗者はサセックスのエレなど別の首長だとする者もいる。
活動地域にも疑問がある。年代記が描くのはサウザンプトンの北であるが、考古学からは、アングロサクソン人の中心はさらに北のドーチェスター・オン・テムズにあったとみられる。ここはウェセックス最初の司教区が置かれた地で、のちにマーシアの圧力を受けて放棄された。サウザンプトン近郊は7世紀前半に新たに得た土地だったとされ、ウェセックスの起源は伝承よりも複雑な経過をたどったらしい。ハンプシャーには、チェルディッチの一団のほか、ポートとその二人の息子の一団、514年に来た西サクソン人と、少なくとも三つの集団が年代記に現れる。出自についても議論がある。チェルディッチという名はゲルマン系よりブリトン系だといわれ、父がアングロサクソン人、母がブリトン人で、母方の親族にちなんで名づけられたという説明がある。父の名エレサもケルト系かもしれないとされ、神ウォーデンにさかのぼる系譜は作られたものと一般に考えられている。ベーダはチェルディッチをゲウィッサエの指導者と呼んだが、この語の本来の意味は分かっていない。495年の記事では、チェルディッチとキュンリッチは首長ではなく、のちのウェセックスで総督や伯にあたる称号のエアルドルマンと記されており、519年に初めて統治を始めたとされる点から、独立した王になったのはこの時だと解する見方もある。
伝説上の人物にすぎないとする主張は少数意見である。ただ、チェルディッチを記す年代記は9世紀後半にまとめられたもので、約400年を経た伝承が正確とは考えにくい。ブリトン人の伯、サクソンの指揮官、ウェールズの英雄、イングランドの王など、さまざまに描かれてきた人物である。
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