HISTORICAL PERSON · 539年没

宣化天皇

日本の第28代天皇。兄安閑天皇の崩御後69歳で即位し、新羅に攻められた任那へ援軍を送ったほか、蘇我稲目を大臣に登用し後の蘇我氏繁栄の礎を築いた。

生涯
539年没
死亡地
日本(奈良県 / 桜井市)
出生地
—
出典
世界地図
日本(奈良県)

伝記

宣化天皇は、日本の第28代天皇である。467年に生まれ、539年3月15日に没したとされる。ただし年代は日本書紀の記述を機械的に西暦に置き換えたもので、確かな日付とは言いがたい。日本書紀では諱を檜隈高田皇子といい、和風諡号は古事記で建小広国押楯命、日本書紀で武小広国押盾天皇という。漢風諡号の宣化は、歴代の天皇とともに淡海三船が名付けたとされる。

継体天皇の第二子で、母は尾張連草香の娘の尾張目子媛である。安閑天皇の同母弟であり、欽明天皇の異母兄にあたる。皇后は仁賢天皇の皇女の橘仲皇女で、石姫皇女、小石姫皇女、倉稚綾姫皇女、日影皇女らの子があり、このうち石姫皇女は欽明天皇の皇后となった。妃の大河内稚子媛との間には火焔皇子がおり、上殖葉皇子は丹比公などの祖とされる。

先代の安閑天皇に子がなかったため、同母弟の宣化が69歳で即位した。都は檜隈廬入野宮、現在の奈良県高市郡明日香村檜前にあった。筑紫の官家の整備を行い、大伴金村に命じて、新羅に攻められていた任那に援軍を送った。即位の元年には蘇我稲目が大臣となり、子の馬子以降に続く蘇我氏の全盛の礎が築かれた。在位は3年余りと短く、高齢での即位でもあったため、目立った事績は多くない。人柄は清らかで、君子らしい顔立ちをしていたと言われる。5月の詔で食に関することを述べているのは、世界的に起こった536年の火山噴火による寒冷化の影響に触れたものではないかとも考えられている。

安閑・宣化の朝は、父の継体天皇の死後すぐに即位した弟の欽明天皇と並び立っていたとする説もあり、辛亥の変と呼ばれる。この説では、欽明天皇が日本書紀より早く権力を握り、宣化の死後に統一が戻ったとされる。宣化の宮のある檜隈は、渡来人が多く住んだ地域で、蘇我氏の本拠にも近かったという。いずれにせよ、宣化天皇の血筋は石姫皇女を通して今日まで受け継がれている。

陵は、宮内庁により奈良県橿原市鳥屋町の身狹桃花鳥坂上陵に治定されている。皇后の橘仲皇女との合葬陵で、墳丘長138メートルの前方後円墳であり、遺跡名は鳥屋ミサンザイ古墳という。皇居の皇霊殿では、ほかの歴代天皇や皇族とともに霊が祀られている。子孫の丹比氏は飛鳥時代から平安時代初期にかけて有力豪族、上級貴族として栄え、その末裔に武蔵七党の丹党がいるとされる。

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