伝記
ヘラクレイトスは、小アジア西岸のイオニア地方にあった都市エフェソスに生まれた古代ギリシアの哲学者である。生年は紀元前540年頃、没年は紀元前480年頃とされるが、いずれも確かではない。生涯を伝える主な典拠は、後世のディオゲネス・ラエルティオスの著作であり、父の名はブロソン、あるいはヘラコンと伝わる。第69回オリンピア紀(紀元前504〜501年)に盛りを迎えたとされる。王族の家系に生まれたという説もあって詳細は不明だが、エフェソスの貴族階級に属していたことはおそらく間違いないとされる。当時この都市はペルシア帝国の支配下にあり、王の称号にちなむ世襲の役職を継ぐ家柄だったが、彼はその地位を弟に譲ったと伝えられる。
政治に対しては民主制を軽蔑し、貴族制の立場を取った。誇り高い性格で、友人ヘルモドロスが民衆によって追放されたことに怒り、政治から手を引いたという。ディオゲネスによれば、のちにエフェソスの人々は国法の制定を彼に委ねようとしたが、友人を追放した国制を悪しきものと見た彼はこれを断った。そしてアルテミス神殿に退き、子供たちとサイコロ遊びに興じた。人々が理由を尋ねると、お前たちと政治に携わるよりこのほうがましだと答えたという。山に退いて隠者のように暮らしたとする伝えもあり、他人の弟子にはならず独学の人だったとされる。ヘシオドスやピュタゴラスらの博識を批判し、ピュタゴラスをいかさま師と呼んだ。
著書と伝わる『自然について』は現存せず、後世の引用によって断片が伝わるだけである。宇宙、政治、神についての三部からなるとも言われるが、内容は謎めいた箴言の形をとり、その難解さから「暗い哲学者」と呼ばれた。悲観的で人間嫌いだったとの見方から「泣く哲学者」とも呼ばれるが、この呼び名は根拠の薄い判断に基づくとする指摘もある。
思想の中心は、絶え間ない変化と対立にある。万物は流転するという言葉で知られるが、この文言そのものは現存する断片には見られず、後世の作とも言われる。ただしプラトンがこの句を引用しており、古くから彼の思想を表す言葉として知られてきた。「同じ河に二度入ることはできない」といった表現に、その趣旨が含まれていると考えられている。一方で彼は、変化の背後にある不変のもの、すなわちロゴスを見ていた。さらにロゴスを火に重ね、火を万物の根源とした。燃焼は絶えざる変化でありながら、一定量の油が消費されて一定の明るさが保たれるように、変化と保存が同時に進む姿を示すからである。水や他の物質は火から生じるとされ、水を根源としたタレスとは考え方が異なる。また万物は一であり一から万物が生まれるとも述べ、根源的な一者と多様な現象との関係を打ち出した最初の人物として注目される。
晩年は水腫に罹ったという。医者に症状を伝える際に嵐を干ばつに変えられるかと謎かけをして困らせ、治療を受けられなかった。そこで牛糞を体に塗るなど自己流の治療を試みたが、犬に食い殺されたと伝えられる。死因には諸説あり、水腫が治ったのち別の病で没したとする説も残る。彼は変化と闘争の思想により、のちのヘーゲルなど弁証法の源流の一人とみなされ、パルメニデスの存在の思想と対比されて、西洋哲学の出発点に大きな影響を及ぼした。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
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