HISTORICAL PERSON · 紀元前480年没

オノマクリトス

古代ギリシアの神託編纂者で、ペイシストラトスの家中に育った。神託の編纂中に自作の贋作を混ぜたことが露見して追放され、後にペルシアでヒッピアスらと和解し、クセルクセスの遠征決意を促したという。

生涯
紀元前480年没
死亡地
—
出生地
ギリシャ共和国(アッティキ / アテネ)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(アッティキ)

伝記

オノマクリトスは、紀元前530年頃に生まれ、紀元前480年頃に没したとされる古代ギリシアの神託編纂者である。アテナイの僭主ペイシストラトスの家中に育ち、古い神託や詩歌を熱心に集めた人物として知られる。その一方で、収集した神託や詩に自作の偽作を混ぜた贋作者でもあったと伝えられる。後にホメーロスの詩とされるものの原型を用意したともいわれ、ホメーロスの詩の校訂本を整えた人物とされることもある。

ヘロドトスの記述によれば、オノマクリトスはペイシストラトスに雇われ、ムーサイオスの神託を編纂する仕事に就いた。ところが、その際に自分で作った偽の神託を書き込んでいたことが、ヘルミオネのラソスに見破られた。この露見のため、オノマクリトスはペイシストラトスの息子ヒッピアスによってアテナイから追放された。

その後、ヒッピアスらペイシストラトスの一族もアテナイを追われ、アケメネス朝ペルシアを頼って逃れた。このとき、オノマクリトスは彼らと和解したという。さらにヘロドトスによれば、オノマクリトスは神託を用いてペルシア王クセルクセス1世をそそのかし、ギリシアへの遠征、すなわちペルシア戦争を決意させたとされる。

パウサニアスもまた、オノマクリトスがムーサイオスの作と称して詩を偽作したと記している。さらにリュコスラにあるティーターン族のアニュトスの像を説明する箇所で、パウサニアスは、ティーターンという名はホメーロスからオノマクリトスが採ったもので、オノマクリトスはディオニューソス信仰の秘儀を通じてティーターンを神に試練を与える者としたと述べている。このため、ディオニューソスがティーターンに引き裂かれるという神話の語りも、オノマクリトスに帰されている。

オルペウスの作とされる文献も、オノマクリトスと結び付けられてきた。タティアノスは、オルペウスに帰される文学がオノマクリトスによって整えられたとし、セクストス・エンペイリコスやアレクサンドレイアのクレメンスの著作にも同様の関連づけが見られる。スーダ辞典には、『オルペウスの神託集』と『秘儀』の二作がオノマクリトスの作とされている。17世紀の学者たちのうち、オルペウス自身が作者であることに懐疑的な者にとっては、オノマクリトスを作者とみる考えは都合のよい代案であった。オランダのハインシウスは、「オルペウス」と呼ばれる詩人はオノマクリトス自身だと論じた。デンマークのボルヒは、『オルペウスのアルゴナウティカ』はペイシストラトス時代のものだが、賛歌や石の書などは本物のオルペウスの作だと論じた。18世紀前半のあるフランスの文献学者は、賛歌はオルペウスの作で、オノマクリトスがそれをイオニア方言に改めたと考えた。

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