HISTORICAL PERSON · 623年没

Finbarr of Cork

コークの司教で修道院長、同市の守護聖人。オッソリーで学び、ローマ巡礼の帰途にウェールズの聖デイヴィッドを訪ねた。晩年の約17年をコークで過ごし、修道士や学生を集めて学問の中心を築いた。

生涯
623年没
死亡地
アイルランド(コーク県 / コーク)
出生地
アイルランド(バンドン)
出典
世界地図
アイルランド(コーク県)

伝記

フィンバー(コークのフィンバー、アイルランド語でフィオンバーラ、しばしばバーラと略される)は、アイルランドのコークの司教であり、現在のコーク市にあった修道院の院長である。550年ごろに生まれ、623年9月25日に亡くなったとされる。コーク市とコーク教区の守護聖人で、祝日は9月25日。カトリック教会と正教会で聖人とされる。

バンドン近くのテンプルマーティンに暮らしていた家の出で、当時の名はロハーン(現代の形でローン)であった。父は、ゴールウェイ出身の腕のよい職人でマーヴ・シオーラのアメルギンといった。本人はバンドンの生まれともいわれる。ロハーンはオソリー、つまり現在のキルケニー州にあたる地方で学んだ。剃髪を受けたとき、司式者が「ローンの頭頂は美しい」という意味の言葉を述べたことから、「フィオンバーラ」の名を得たという。髪の色によるとする説もある。のちには弟子の修道士たちとともにローマへ巡礼し、帰りにウェールズの聖ダビデを訪ねたとされる。

学業を終えて帰郷すると、当時ロッホ・イルケと呼ばれた小さな湖の島でしばらく暮らした。この島は今ではゴーガン・バーラ(フィンバーの小さな岩の裂け目)と呼ばれる。そこにはタルマハなど何人かの弟子が従っていたとされる。各地に小さな教会を建てたと伝えられ、コーク州バリニーディグのケル・ナ・クローナもその一つである。この地はクロインと呼ばれることもあり、東コークのクロインと混同される。弟子が増えて小さな庵に収まらなくなると、共同体をリー川の河口に近い、コルカッハ・モール・ナ・ムーアン(マンスターの大湿地)と呼ばれた湿地へ移したという。

晩年のおよそ17年を、この土地、現在のコーク市の地で過ごし、周囲に修道士や学生を集めた。ここは学問の重要な中心となり、「フィンバーの創設した学び舎、マンスターの学校」を意味する言葉が生まれた。今日のコーク大学ユニバーシティ・カレッジの英語の標語「フィンバーが教えたところに、マンスターは学べ」も、これにちなむ。606年に建てた教会と修道院は、リー川を見下ろす石灰岩の崖の上にあり、のちの12世紀のコーク司教の名からギル・アビーと呼ばれる地である。ここは長く教区の大聖堂の所在地であり、現在は聖フィン・バー大聖堂が建つ。

フィンバーは、ゴーガン・バーラを訪れた帰りにケル・ナ・クローナで亡くなり、コークの自らの教会に付属する墓地に葬られたとされる。名は今もコークで男の子によくつけられる。イングランドやオーストラリア、ナイジェリア、アメリカ合衆国のカリフォルニア州などには聖フィンバーの名を冠した学校や教会があり、サウスカロライナ州チャールストン教区のかつての大聖堂も、その名をたたえて名づけられたと考えられている。アイルランドには同名の聖人が5人いるとされ、モヴィルのフィニアンと同一人物とする学説もある。スコットランドのバラ島に教会跡を残す聖人をコークのフィンバーとする伝承もあるが、スコットランド人だったとする反論もある。

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