伝記
カリマコスは、紀元前5世紀後半に活動した建築家・彫刻家である。ポリュクレイトスの確立した作風にならう仕事をした人物で、アテナイとコリントスの両方で作品に関わったとされ、おそらくそのどちらかの出身だったと考えられている。生没年は伝わっていない。ウィトルウィウスによれば、その並外れた巧妙さと趣味のよさゆえに、アテナイ人は彼に「カタテクシテクノス」というあだ名を与えた。自分の技を絶えず責める者、つまり完璧主義者を意味する語である。
2世紀のパウサニアスは、彼を第一級の芸術家ではないと断りながら、「比類のない巧みさをもち、石に穴をあけた最初の人」と述べている。穴をあけたのは、髪の房や葉などの細部に光と影の効果を与えるためだった。このように、精巧な細部表現や衣の襞に凝る傾向で知られたが、彼の作と確実に認められる作品はほとんど残っていない。
建築の面では、コリント式を考案した人物とされ、この様式はのちにローマの建築家によって古典様式の一つに押し上げられた。コリント式はドーリス式、イオニア式と並ぶ古典建築の三つの柱頭様式の一つで、アカンサスの葉などの植物文様で飾られた華やかな柱頭を特徴とする。初期の例には、紀元前5世紀半ばに建てられたバッサイのアポロン神殿が挙げられる。コリント式は、ドーリス式とイオニア式の人気に押されて、当時はあまり使われなかったという。バッサイの神殿の人物の行列を表した浮彫は、古代ギリシア彫刻の最良の例の一つとされる。のちのローマ建築では神殿、バシリカ、フォルムなどの公共建築によく用いられた。なかでも、アウグストゥスが紀元前1世紀に建てたローマのマルス・ウルトル神殿の精巧なコリント式柱頭は、ローマ建築の最良の例の一つとされる。
彫刻では、黄金と象牙を用いるクリュセレパンティノス彫刻で優れた仕事をしたとされる。大プリニウスは、彼が象牙と金を彫刻に使う技法を最初に発展させたと述べたという。木などの芯の上に、薄い象牙板と金箔をかぶせる手法で、この方法によって精緻で細部まで作り込まれた、生きているような外観の彫刻をつくることができたという。アテナ・パルテノス像は彼が加わった最も有名な事業の一つで、フェイディアスらとともに専門職人の一団に加わり、この像に携わったと評価されている。像の高さは約11.5メートル、象牙と金でつくられ、女神のサンダルや外衣などの細部は純金で表された。のちに失われ、古代の記述や図像でのみ知られる。
アテナイのアクロポリスのプロピュライアのそばにあるアテナ・ニケ神殿の浮彫に、勝利の女神ニケたちを彫ったのも彼とされる。この小さな神殿はペリクレスが没する直前の紀元前429年ごろに発注したとされ、紀元前427年ごろから410年ごろに建てられた。大プリニウスは『ラコニアの踊り子たち』にも触れている。六人の陶酔した女たち(マイナデス)の像は、ローマ時代の模刻で伝わり、彼の作と考えられている。体に張りつく衣の表現から、ウェヌス・ゲネトリクス型の原作も彼に帰せられた。エレクテイオンの内陣には、彼が考案した「アスベストの灯心」という黄金のランプが下がっていた。パウサニアスによれば、灯心が燃え尽きないため、油は1年に一度足すだけでよく、上に青銅のナツメヤシの枝が付いて煙を集めたという。紀元前5世紀後半のアイガイの碑文は、彼の仕事と、アルケラオスが芸術家を招いた時期に関わる可能性がある。
同じ年に亡くなった人物
- ヒッポ (紀元前460)
- ファルナケス2世 (太守) (紀元前 460年(推定))
- アポロドーロス (紀元前460)
- エピアルテース (紀元前460)
- テレシラ (紀元前460)
同じ地域に関係する人物
- Nikolaos Kalogeropoulos (1927年没)
- イソクラテス (紀元前338年没)
- アイギナのパウロス (690年没)
- フィレモン (紀元前262)
- エレナ・ウラジーミロヴナ (1957年没)