HISTORICAL PERSON · 674年没

サウダ・ビント・ザムア

ムハンマドの2番目の妻で、信者たちの母と呼ばれる。初めの夫と共にアビシニアへ移住した最初期の女性の一人で、ハディージャの死後にムハンマドと結婚した。

生涯
674年没
死亡地
サウジアラビア王国(マディーナ州 / マディーナ)
出生地
サウジアラビア王国(メッカ)
出典
世界地図
サウジアラビア王国(マディーナ州)

伝記

サウダ・ビント・ザムアは、預言者ムハンマドの二番目の妻で、「信者たちの母」と呼ばれる妻たちの一人である。メッカの生まれで、クライシュ族のアーミル・ブン・ルアイイ家に属した。没年は644年とも674年ともいわれ、確定していない。生年にも異説があり、ムハンマドとの結婚時の年齢は40歳から65歳ほどとされ、一説には50歳ほどともいう。生まれは556年から580年ごろの範囲にとどまる。

父はザムア・ブン・カイス、母はアル・シュムス・ビント・カイスで、母はメディナのハズラジ族のナッジャール家の出であった。サウダは初期にイスラームへ改宗した人びとの一人で、同じく早くに入信したいとこのサクラーン・ブン・アムルと結婚した。夫婦は、ムハンマドがクライシュ族の迫害を避けて多くの信者に移住を命じたときにアビシニアへ渡り、サウダは神の道のためにアビシニアへ移住した最初期の女性の一人となった。数年後、夫婦はメッカに戻り、そこでサクラーンが亡くなって、サウダは人生で初めて寡婦となった。

最初の妻ハディージャの死の直後、預言者としての使命が始まってから10年目のラマダーン月に、ムハンマドはサウダと結婚した。西暦では620年にあたる。婚資は400ディルハムだったという。ムハンマドに再婚を勧めた人物が、寡婦のサウダと、まだ未婚だったアーイシャを候補に挙げたと伝えられる。サウダは多くの子がいるので、その子らが夫の邪魔になるのではと恐れ、はじめはためらった。ムハンマドは、ラクダに乗った女性のうちクライシュ族の貞淑な女性たちが最上であり、幼い子に情が深く、夫が富んでいれば夫によく尽くす、と語って説得したと伝わる。アーイシャは幼く実家にとどまっていたので、しばらくはサウダだけがムハンマドと暮らした。ヒジュラの最初の年に、サウダはムハンマドの娘たちとともにメディナへ移り、預言者のモスクのそばに建てられた最初期の住居の一つに住んだ。

老いてからのサウダには、よく知られた出来事がある。ムハンマドがアーイシャを寵愛し、サウダのもとを訪れなくなって、離縁を考えたという伝承である。サウダは、自分の番の日をアーイシャに譲りたい、もう年をとって夫婦の関係を望まず、ただ復活の日にムハンマドの妻の一人として甦りたいのだと願い、ムハンマドはそれを受け入れて離縁を思いとどまったという。この出来事は、女性が夫に見捨てられることを恐れる場合の和解を述べたクルアーン4章128節の啓示と結びつけられる。一方で、ムハンマドが実際には離縁しようとはしておらず、サウダがそれを恐れたのだと伝える説もある。伝承によれば、サウダは体が大きく動作がゆったりしていた。巡礼のとき、人の波に押されないよう、ムハンマドは彼女が群衆より先にミナーを発つことを認めたという。サウダは気前がよく、ユーモアのある人で、革細工もしたとされる。アーイシャは、女性のなかで自分がなりたいのはサウダの境遇だと語ったと伝わる。

ムハンマドの没後、サウダは他の妻たちとともにカリフ政権から毎年金銭を受け取り、慈善に使った。サウダは5つのハディースを伝え、そのうちの1つはブハーリーの伝承集に収められた。没したのはメディナで、ジャンナト・アル・バキーウに葬られた。ヒジュラ暦54年、すなわち674年とする説では、その後ムアーウィヤ1世が彼女の家を18万ディルハムで買い取ったとされる。一方、ヒジュラ暦22年か23年、西暦644年にウマルの治世の末に没し、ウマルが葬儀の祈りを導いたとする伝承もある。

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