HISTORICAL PERSON · 1823年没

エドワード・ジェンナー

イギリスの医学者。農民の言い伝えに着目し、人痘接種より安全な牛痘接種による種痘法を開発して、近代免疫学の父とも呼ばれる。

生涯
1823年没
死亡地
イギリス連邦(グロスタシャー / バークリー)
出生地
イギリス連邦(バークリー)
出典
世界地図
イギリス連邦(グロスタシャー)

伝記

エドワード・ジェンナーは、イギリスの医学者である。1749年5月17日に生まれ、1823年1月26日に没した。天然痘の予防において、それまでの人痘接種法より安全性の高い種痘法(牛痘接種法)を開発し、近代免疫学の父とも呼ばれる。もとはジョン・ハンターのもとで医学の教えを受けた田舎の開業医であった。

南イングランドのグロスターシャーのバークリーに生まれた。父は教区の牧師スティーヴン・ジェンナー、母はサラ・ヘッドで、八番目の子であった。同じ名前の兄が、生まれる2週間前に5歳で亡くなっていた。1754年に母が出産の後に亡くなり、その2か月後に父も世を去って、5歳で孤児になった。叔母のデボラと姉のメアリーのもとで育ち、兄のスティーヴンが父親代わりとなった。姉たちから算数や音楽、読み書きの基本を教わり、バークリーの東にあるウォットン・アンダー・エッジの文法学校に入って、ラテン語とギリシア語を学んだ。しかし何より好きだったのは、丘や森を歩いて自然を観察することで、石灰岩の間に化石を探し、野ネズミの巣を50以上も集めたという。

8歳のとき、バークリーで天然痘が流行し、家族はそれまで知られた唯一の予防法である人痘接種を受けさせることにした。これは、オスマン帝国駐在大使の夫人メアリー・モンタギューが現地で知り、1721年に帰国して娘に施してイギリスの上流階級に広めた方法で、天然痘の患者の膿疱から取った液を健康な人に接種するものである。接種を受けた者の2パーセントが重症化して死亡するなど、危険を伴った。ジェンナーも、薬屋の手で、腕を切って膿を塗られ、仲間とともに換気も明かりも乏しい悪臭の厩舎で40日の隔離を強いられた。この経験は、決して忘れ難いものだったという。

ジェンナーが医師として活動していたころには、乳搾りで牛と接して自然に牛痘にかかった人間は、天然痘にかからないという農民の言い伝えがあった。牛痘は天然痘よりはるかに死亡率の低い、安全な病気であった。ジェンナーはこれを天然痘の予防に使えないかと考え、1778年から18年にわたって研究を続けた。1796年5月14日、使用人の子であるジェームズ・フィップスという8歳の少年に牛痘を接種した。少年は若干の発熱と不快感を訴えたが、深刻な症状はなかった。6週間後に少年へ天然痘を接種したところ、天然痘にはかからず、牛痘による予防法が成功した。「自分の息子に試した」という説は、牛痘の接種の7年前に行った天然痘接種の話が混同されたものである。

1798年に牛痘についての研究を発表すると、種痘法はヨーロッパ中に広まった。1802年にはイギリス議会から賞金が贈られたが、医学界はなかなかその名誉を認めなかった。一部の町村では、牛痘を接種すると牛になると言われて苦労し、接種を「神の乗った牛の聖なる液」と説明したとも伝わる。その後の天然痘の大流行を機に急速に普及し、ワクチンは改良されて世界で使われ、1980年には天然痘の根絶が宣言された。「ワクチン」と「ワクチン接種」の語は、ジェンナーが牛痘を表すために用いた、牛の膿疱を意味するラテン語の語に由来する。1789年に王立協会のフェローに選ばれ、1821年にはジョージ4世の侍医に任命されたほか、バークリー市長や治安判事も務めた。鳥の習性にも造詣が深く、カッコウの托卵や渡りの研究でも知られる。

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