伝記
テウデリク4世は、メロヴィング朝の13代目のフランク王である。在位は721年から737年まで。フランス語名ではティエリーとも呼ばれる。生年は711年か712年ごろ、あるいは713年ごろとされ、没年は737年である。ダゴベルト3世の子で、母はザクセンのクロティルドとされる。
715年に父ダゴベルト3世が亡くなると、テウデリクはシェル修道院に預けられたという。721年、キルペリク2世が世継ぎのないまま死去すると、フランク人の公で宮宰のカール・マルテルが、テウデリクを修道院から連れ出して王位に就けた。しかし、王の座にあっても実権は宮宰カール・マルテルが握り続け、テウデリクは名ばかりの王にとどまった。在位中の王は、主にシェル修道院で過ごし、のちにシャトー・ティエリーに滞在したとされる。この町の名はテウデリク4世に由来するという土地の伝承がある。
その治世には、フランク王国がウマイヤ朝のアラブ軍と戦う時期が重なる。719年から始まったアラブ軍の侵入に対し、アキテーヌ公ウードがトゥールーズの戦いで一時的にこれを食い止めた。ついでカール・マルテルが、ポワティエの戦い(732年)などでイスラム勢力の拡大を食い止め、押し返した。この勝利は、ウードに対するカールの権威と名声を高めたといわれる。734年には、ボーン川の戦いでカールがフリースラントの王ポッポを破り、フランクはフリースラントに攻め入って併合する道を開いた。これらの戦いを指揮したのはいずれも宮宰カールであり、王であるテウデリクの名はそこに現れない。
737年にテウデリクが死去したのち、カール・マルテルは後継の王を立てなかった。743年にキルペリク2世の子とされるキルデリク3世が、宮宰カールマンとピピン3世の兄弟によって王に擁立されるまで、フランクの王位は空位のままで、宮宰による統治が続いた。この時期は空位時代と呼ばれる。カール・マルテル自身は741年に死去し、その権力は2人の息子に分けられた。
テウデリクの子女については、メロヴィング朝最後の王キルデリク3世を子とする説がある。しかし、キルデリク3世の生年は714年ごろか717年ごろとみられ、テウデリクとの年齢差は3歳から6歳にすぎないため、父子とは考えにくい。キルデリク3世がキルペリク2世の子とされることも推測にすぎず、メロヴィング家の一員であることは確かだが、血筋は不詳とする説もある。