HISTORICAL PERSON · 742年没

王之渙

唐の詩人。役人と折り合わず官職を辞して長く無官で過ごしたが詩名は高く、人々に愛誦された。

生涯
742年没
死亡地
中華人民共和国(河北省 / 文安県)
出生地
中華人民共和国(絳県)
出典
世界地図
中華人民共和国(河北省)

伝記

王之渙は、中国唐代の詩人である。生年は688年、没年は742年とされる。字は季陵といい、并州晋陽県、現在の山西省太原にあたる土地の出身である。名を「王之奐」と記す本もある。生涯について伝わることは少なく、官職に就いた経歴と、数編の詩、そして酒場での逸話が知られているにすぎない。

若い頃の経歴は詳しくわからないが、開元年間の初めに冀州衡水県の主簿に就いた。主簿は県の帳簿などを扱う役職で、記録によっては会計をつかさどる役人と説明される。ところが、他人とうまくゆかずに辞職したとも、人に悪く言われて職を去ったともいわれる。その後は15年のあいだ無官で過ごし、暮らしは貧しかったと伝えられている。晩年になって、ようやく文安県の尉の職に就いた。

詩人としての名は生前から高く、その詩は人々に愛誦されたという。ただし詩集がまとめられたようすはなく、現在まで残るのはわずか六首にすぎない。いずれも絶句であるが、ほとんどが名作として扱われている。辺境を詠んだ作風の詩人として知られ、『唐詩選』や『唐詩三百首』にも作品が収められた。とくに有名なのが五言絶句の『登鸛雀楼』で、「白日は山に依りて尽き、黄河は海に入りて流る。千里の目を窮めんと欲し、更に上る一層の楼」と詠む。沈む太陽と海へ向かう黄河を見渡し、さらに一階上へ登ろうという内容である。ほかに『出塞』という作品があり、こちらは民謡風の詩とされる。『九日送別』という七言絶句もある。

酒場での競い合いの逸話も名高い。王之渙は同じ詩人の高適、王昌齢とともに酒場に集まり、その晩に居合わせた歌い手たちが、誰の詩をいちばん多く歌うかを競うことにした。はじめに王昌齢の詩が歌われ、続いて高適の詩が歌われた。さらに王昌齢の詩が歌われ、その後も高適が一、王昌齢が二と数が進んだが、王之渙の詩はまだ一つも歌われなかった。最後に、いちばん美しいとされる歌い手が登場し、王之渙の詩を歌った。これが『出塞』であったと伝わる。『登鸛雀楼』にまつわる話として語られることもある。

2009年9月13日には、中華人民共和国が「唐詩三百首」の切手の一つとして、『登鸛雀楼』の詩を図案にしたものを発行した。切手の図案に詩が選ばれるほど、その作品は知られている。

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