伝記
ピリスティオン(ロクリのピリスティオン)は、紀元前4世紀に活動したとされるギリシアの医者であり、医学と食養生に関する著述家である。南イタリアのマグナ・グラエキアにあるロクリの出身で、「シチリアの人」とも呼ばれた。生年は分かっていない。
フランス語圏の記述では、ロクリ出身の彼はシラクサの二人の僭主、大ディオニュシオスと小ディオニュシオスの個人的な医者を務めたという。大ディオニュシオスの妻ドリスは小ディオニュシオスの母で、やはりロクリの出身であった。プラトンに帰される第二書簡にも彼のことが出てくるが、この書簡は一般に偽作と見なされている。弟子としては、クニドスのクリュシッポスや、天文学者で医者でもあったクニドスのエウドクソスの名が挙がる。ディオゲネス・ラエルティオスも、彼をエウドクソスの医学の師としている。こうした事情から、彼は紀元前4世紀に生きたと考えられている。また、同じく医者であった名の分からない兄弟がいて、カエリウス・アウレリアヌスに引用されている。
その学説は、ロンドン無名氏と呼ばれる医学書のパピルスに記されている。それによれば、人間は火・空気・水・土という四つの要素からなり、それぞれに固有の力があって、火は熱、空気は冷、水は湿、土は乾にあたる。病気の起こり方は多様だが、大きくは要素によるもの、身体の状態によるもの、外的な原因によるものの三つに分けられる。外的な原因には、傷、熱や冷の行き過ぎや急な変化、不適切な食物や傷んだ食物の摂取がある。身体の状態については、呼吸が口や鼻だけでなく全身で行われ、息が妨げられずに通るときが健康であり、うまく呼吸できないときに病気が現れると説いた。
ガレノスによれば、彼は呼吸の働きを体に生まれつきある熱を冷ますことだと教えた。プルタルコスは、飲んだものは気管を通って肺に入ると彼が考えていたと伝える。この考えは、プラトンの『ティマイオス』にも見られる。さらに彼は心臓を理性と感情の座とした。この点は弟子のエウドクソスと同じである。プラトンの『ティマイオス』にも似た説明があり、息を吐くときに胸と肺の領域が身体を取り巻く空気で再び満たされ、その空気が肉の多孔質の部分を通って入り込むと述べられている。その空気が再び外へ出るときには、口や鼻から吸い込まれた空気を押しめぐらせ、いわば回転する輪のようになるという。ガレノスが伝える彼の呼吸論は、この箇所と対応しているように見える。ただしプラトンは、病気の原因として身体要素の腐敗や分解など別の原因も挙げており、両者は同じではない。古代の哲学者や医者は、病気の原因を一つとするか複数とするかでは意見が分かれたものの、いずれも自然による普遍的な説明を与えようとした。また、生命と思考の担い手として息(プネウマ)の考えを発展させたらしいが、息と魂を完全に同一視したアポロニアのディオゲネスの説からは少し離れていた。
著作としては、ガレノスが薬物についての書と料理についての書を彼のものとしている。古代の著者の中には、ヒッポクラテス集成に含まれる養生法に関する論文を彼の作とする者もいた。近代には、同集成の『心臓について』の著者と考える人もいたが、この書はエラシストラトスよりも後のものとされる。経験学派の創始者の一人とみなす者もいた。プリニウスやガレノスにたびたび引用されている。さらにオリバシオスは、脱臼した上腕骨を元に戻すための器械を彼が考案したと述べ、フランス語圏の記述では肩の脱臼を整復する器具とされている。没年は紀元前400年とされることがあるが、確かなことは分からない。
同じ年に亡くなった人物
- Dinon (紀元前400)
- ラオディケ (紀元前400)
- クテシアス (紀元前 400年(推定))
- ソポクレス (紀元前400年代没)
- Lastheneia of Mantinea (紀元前400)
同じ地域に関係する人物
- レオンティウス・ピラトゥス (1365年没)
- ヒッポ (紀元前460)
- シュラクサイのカリッポス (紀元前301)
- フランチェスコ・チレア (1950年没)
- スクリボニア (16年没)