HISTORICAL PERSON · 紀元前400没

プティア

エペイロス王アイアキデスの妃で、後にエペイロス王となるピュロスの母。娘デイダメイアはデメトリオス・ポリオルケテスの妻となった。

生涯
紀元前400没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

プティアは、紀元前4世紀に生きたエペイロスの王妃である。テッサリアのファルサロスの出身で、同地の騎兵指揮官(ヒッパルコス)メノンの娘であった。メノンはラミア戦争で名を上げた人物で、レオンナトスを破った勝利で知られ、またアンティフィロスとともにクランノンの戦いでギリシア軍を率いたとされる。

プティアは、エペイロスの王アイアキデスの妻となった。アイアキデスは紀元前330年から紀元前313年まで王位にあったとされ、結婚は紀元前323年ごろともいわれる。この結婚で、のちに名高いピュロスと、娘のデイダメイア、トロイアス(トロアスとも)の3人が生まれた。メノンの死後に生まれた子らだという。デイダメイアははじめアレクサンドロス大王の息子アレクサンドロス4世と婚約したが、最終的にはデメトリオス・ポリオルケテスの妻となった。トロイアスについては、ほかに何も分かっていない。

プティアの生涯について詳しいことはほとんど伝わらず、プルタルコスがピュロスの伝記でわずかに触れるのみである。夫のそばに何年いたのか、夫が一時王位を失ったときに同行したのかも分からない。ピュロスは2歳のころ、父の友人たちに救い出されてカッサンドロスの害から逃れ、タウランティオイ人の王グラウキアスのもとに身を寄せた。プティアのその後の運命について、確かなことは分かっていない。

息子ピュロスはのちにエペイロスの王となり、イタリアに攻め込んでローマと戦った。「もう一度このような勝利を収めれば我々は破滅だ」という言葉でも知られ、「ピュロスの勝利」という表現の由来になっている。

ピュロスの治世に鋳造された貨幣には、プティアの肖像が刻まれている。紀元前278年の貨幣には、樫の葉の冠をつけてベールをかぶった女性の頭部と「プティアスの」の銘があり、裏面には雷電と「ピュロス王の」の銘がある。別の貨幣は、裏面に槍と盾を構えたアテナ・プロマコスを描く。ただしシチリア滞在中の貨幣に刻まれた女性像については、ピュロスの母プティアとする説のほか、アカイア人の祖アカイオスの母である神話のプティアとする説もある。後者であれば、シチリアのギリシア人の始祖母と、ピュロスの母とを重ねて、共通の起源を強調したとも解釈される。曾孫にあたるエペイロスの王女で、マケドニア王ピリッポス5世の母となった女性は、彼女にちなんでプティアと名づけられたと推測されている。

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