HISTORICAL PERSON · 1870年没

プロスペル・メリメ

フランスの作家・歴史家・考古学者。小説『カルメン』で知られ、ビゼーのオペラの原作となった。歴史記念物監督官として多くの歴史的建造物の保護に当たり、1844年にアカデミー・フランセーズ会員となった。

生涯
1870年没
死亡地
フランス共和国(アルプ=マリティーム県 / カンヌ)
出生地
フランス共和国(パリ)
出典
世界地図
フランス共和国(アルプ=マリティーム県)

伝記

プロスペル・メリメは、1803年9月28日に生まれ、1870年9月23日に没したフランスの作家、歴史家、考古学者、官吏である。小説『カルメン』で知られ、ナポレオン3世の側近として元老院議員にまで出世した。

パリのブルジョワの家庭に、画家で文学者のレオノール・メリメと、画家のアンヌの息子として生まれた。法律学を修めると同時に、現代ギリシア語、アラビア語、英語、ロシア語など多くの外国語を学び、フランスで最初のロシア語翻訳家の一人として、プーシキンやツルゲーネフの仏語訳でも知られる。弁護士資格に合格するとすぐ文学に耽ったが、公務員となり、1830年に官房の秘書官、通商省と海運省を経て、1831年にフランス歴史記念物監督官に就任した。父がここの秘書官だったので、早期の名声をもたらした文学作品に自由に打ち込めたという。1834年からは傑出した建造物の調査に着手し、ヴィオレ=ル=デュックに最初の修復作業を求めた。この職は各地への考古学と観光の旅の機会も与え、旅行記(1835年〜1841年)を出版した。鉄道の敷設が完了する前の旅で、のちの中編小説には訪問先を舞台とするものが多い。1860年までこの職に留まった。

文学の面では、デビュー直後に想像上の作者の作とした二つの書物で評判をとった。スペインの女優の戯曲集と称する『クララ・ガズル戯曲集』(1825年)と、イリュリアの歌曲と称する『ラ・グスラ』(1827年)である。前者は文学的なまやかしの最も完璧なものの一つで、フランスのロマン主義を加速したとされる。友人スタンダールと同じく、周囲の冷ややかな視線を避けて素人作家として振る舞い、著作に打ち込む様子を表に出さなかった。1829年の歴史小説『シャルル九世治世年代記』で文壇から本格的に注目され、以後は短篇や中篇を自分の名前で発表した。コルシカ島の名誉殺人の風習を扱う『マテオ・ファルコーネ』、『イールのヴィーナス』『コロンバ』などがあり、『カルメン』(1847年)はビゼーのオペラの原作となった。

1843年に碑文・文芸アカデミーの、翌1844年にはノディエの跡を継いでアカデミー・フランセーズの会員に選ばれた。1852年には、友人の伯爵が官位を悪用して稀覯書を窃盗した件で肩を持ち、禁錮2週間と罰金の判決を受けて収監された。1830年にスペインで知り合ったモンティホ伯爵夫人と交遊があり、その娘エウヘニアが皇后となると、第二帝政政府は彼を元老院議員とした。生涯独身で、1833年にはジョルジュ・サンドと短い恋愛関係になったが、のちに関係は破綻し、臨終の際にサンドが面会を求めても拒んだ。

文学史上では、異国への憧れを抱きながらも、懐疑的かつ厭世的で、過剰な感情の露出を抑え、皮肉ともいえる客観的な筆致で書いたため、ロマン主義者というより早く生まれた写実主義者と見なされる。1870年の普仏戦争のさなか、滞在先の南仏カンヌで没し、現地に埋葬された。1871年のパリ・コミューンの際に、自宅の火災で蔵書や草稿は失われた。フランス文化省は、彼の名を冠して歴史的建造物を調べるメリメ・データベースを創設した。

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