伝記
キンディー(アブー・ユースフ・ヤアクーブ・イブン・イスハーク・アル=キンディー)は、中世イスラームの哲学者、科学者、数学者、音楽家である。生年は801年頃とされ、没年は873年とするのが通説だが、870年頃とも866年とも伝えられ、確定していない。ヨーロッパではラテン語化されたアルキンドゥスの名でも知られる。数少ないアラブ系の部族にルーツを持つ偉大な哲学者であったため、「アラブの哲学者」という敬称で呼ばれる。
イラクのクーファに生まれた。5世紀から6世紀にかけて、アラビア半島北部から中央部のナジュド高原のアラブ遊牧民を統合してキンダ朝を築いた名族、キンダ族にルーツを持つ。父はクーファの役人であったとされ、バスラの総督だったとする記述もある。キンディーは、クーファのほかバスラやバグダードで学んだが、この三つの都市は、当時のイスラーム世界で知的な影響力が最も大きな都市であった。抜群の知識がアッバース朝のカリフ、マアムーンの目に止まり、彼はバグダードの知恵の館に招かれた。ここはギリシア哲学やギリシア科学の著作をアラビア語に翻訳する中心的な施設で、キンディーはアリストテレスの哲学書やプトレマイオスの『地理学』などの翻訳に携わった。
彼自身はギリシア語を解さなかったようで、他の人の訳を改善し、自分の注釈を加えるという形で関わった。翻訳の依頼に応えるとともに、名族の一人として身につけた豊かなアラビア語の知識を生かして、翻訳の指導にあたった。特に、アラビア語による哲学の語彙の確立に多大な貢献をしたとされる。哲学、地理学、論理学、医学、物理学、数学、天文学にまで及ぶ翻訳書は260に及ぶというが、大半は散逸し、現存するのは40ほどである。ムウタジラ派のカリフたちの庇護も受け、マアムーンに続くカリフ・ムウタスィムからは、その子の家庭教師に任じられたとされ、主著の一つを献呈した。数学、天文学、医学、光学、政治学、弁論術、音楽論などの著作二百数十点を著している。数学に暗号論を初めて取り入れ、それはフワーリズミーに先立つものだったという。
思想の面では、外来の学問の浸透に批判的なアラブの保守層に対し、真理の探究の意義とその普遍性を説いた。真理は、それがどこから来たものであれ受け入れられなければならないと論じ、科学的な真理と啓示された真理は対立せず調和すると考えた。哲学を学ぶには、まず算術、幾何学、天文学、音楽の順に数学を学び、次に論理学、自然学、形而上学、道徳へ進むべきだとした。神による無からの創造や啓示の優位を重んじた点は、後世の流出説が優位となる哲学者たちには見られない特徴である。彼の知性論は後のイスラームの哲学者に引き継がれ、中世ヨーロッパの哲学にも影響を与えたという。
だが847年に新しいカリフのムタワッキルがムウタジラ派を退けると、知恵の館で競い合うバヌー・ムーサーの兄弟らの策動もあって、848年に不興を買い、図書館を没収された。合理主義的な神学と親和性のあった彼の哲学は、正統派の神学者からも激しい迫害を受け、著作が没収されたこともあった。図書館は死の少し前に返されたという。不遇のうちに没したが、ギリシア哲学、特にアリストテレスの哲学をイスラーム世界に移し入れ、哲学が受け継がれる契機をつくった。
同じ年に亡くなった人物
- 懿宗 (唐) (873年没)
- エグバート1世 (ノーサンブリア王) (873年没)
- ヴィマラ・ペレス (873年)
同じ地域に関係する人物
- ムスタアスィム (1258年没)
- Abu'l-Barakat al-Baghdadi (1165年没)
- バルザーン・イブラーヒーム・ハサン (2007年没)
- Bint al-Huda (1980年没)
- アブドゥル=イラーフ (1958年没)