伝記
ミレトスのティモテオスは、紀元前446年ごろに生まれ、紀元前357年に没したとされるギリシアの音楽家であり、ディテュランボス(酒神讃歌)の詩人である。「新しい音楽」を代表する人物とされ、神話や歴史を題材にした音楽作品を作った。出身はミレトスで、没した地はペラだとも伝えられる。
ティモテオスは、竪琴(リラ)に弦を1本、あるいはそれ以上加えたといわれる。これによって、それまで知られなかった和声の効果を生み出したとされる。一方で、この改変はスパルタ人やアテナイ人の不興を買った。弦の数を変えることが、神々の定めた法に反するものと見られたのではないかともいわれる。
マケドニア王アルケラオス1世の宮廷に数年間身を置き、そこでは悲劇詩人のエウリピデスとも同じ宮廷にいたという。弟子の教え方にまつわる逸話も残る。クインティリアヌスによれば、ティモテオスは、すでに別の師に学んだ弟子からは二倍の謝礼を取った。前の教えを忘れさせるという重い仕事が加わるからだという。この話はのちにラブレーの『ガルガンチュア』第23章にも取り入れられた。また、プルタルコスは、ティモテオスの上演中にアルテミスを侮辱する場面があったとき、観客のなかからキネシアスが立ち上がり、おまえに似た娘ができるがいいと嘲って言った、と伝えている。
作品としては、18編のディテュランボスと、18編か19編のノモス(アポロンをたたえる独唱歌)を作ったとされる。ディテュランボスの一つ『狂えるアイアス』は紀元前360年ごろの作で、一部がパピルスから見つかっている。この作品はアテナイの大ディオニュシア祭で上演され、テバイの笛吹きティモテオスと、アッティカのパンディオン部族の少年合唱団が演じて賞を得た。これはテバイのティモテオスにとって最初の勝利だったという。ノモスの『ニオベ』は、哲学者キティオンのゼノンが死を前にしてその一句「私は来た。なぜ私を呼ぶのか」を引いたことで名高い。
1902年には、エジプトのアブシール(古代のブシリス)で、ノモス『ペルシア人』を記したパピルスが見つかった。サラミスの海戦を描いた175行ほどの詩句を含み、現存する最古級のギリシア語パピルスの一つとされる。ウィラモヴィッツが1903年に校訂し、詩の韻律や竪琴の弦の数、詩人と断片の年代について論じた。ティモテオスの詩の断片は、デニス・ペイジの『ギリシア抒情詩集成』にも収められている。なお、後世の文献では、アレクサンドロス大王の宮廷にいた笛吹きのティモテオスと混同されることがある。
同じ年に亡くなった人物
- コトゥス1世 (紀元前359)
- ペルディッカス3世 (紀元前359年没)
- アイスキネス (ソクラテスの弟子) (紀元前 359年)
同じ地域に関係する人物
- エジプトのエウリュディケ (紀元前300)
- ビリスティチェ (紀元前300)