伝記
コテュス1世は、トラキアのオドリュサイ人の王で、紀元前384年から殺害される紀元前360年までその座にあったとされる。24年間王位にあったという古代の記録から、即位が紀元前384年と割り出されている。出自には不明な点が多いが、父はセウテス1世であるとされ、兄弟にレボウラスがいた。かつてはセウテス2世の子とされたが、セウテス2世が紀元前411年のセウテス1世の退位時にまだ7歳だったことから、いまではこの説は退けられている。
紀元前390年ごろ、アテナイの将軍イフィクラテスがトラキアに入り、約2年とどまって、現地の王たちの和平をまとめた。この間にイフィクラテスはコテュスの娘と豪華な式で結婚した。当時のコテュスの地位ははっきりしないが、紀元前386年から385年にオドリュサイ人の王だったヘブリュゼルミスの兄弟だったと推定されている。紀元前384年に王となったコテュスは、イフィクラテスの助けで、ヘブリュゼルミスの後継者としての地位を固め、対立する者たちを退けた。コテュスの名を刻んだ品が北や西で見つかっており、そちらへの勢力拡大もあったことがうかがえる。ロゴゼンの宝物にもその名が見え、一例ではアポロンの子と記されている。
コテュスがエーゲ海やケルソネソスの方向へ領土を広げようとしたことで、アテナイとの緊張が高まった。紀元前370年代の初めに第二次アテナイ同盟が結成された背景には、コテュスなどの脅威があったとされる。紀元前375年ごろには、トリバロイ人の指導者ハレスがアブデラを攻めたのを、コテュスが支援したらしい。市を救ったのはアテナイの将軍カブリアスだった。紀元前365年、コテュスは解任されたイフィクラテスを迎え、新たな味方となった傭兵隊長カリデモスも迎えた。カリデモスはコテュスの別の娘と結婚した。紀元前363年か362年には、ミルトキュテスをケルソネソスに送ってセストスを攻めさせ、飢えさせて降伏に追い込み、続いてクリトテも攻めた。救援に送られたアテナイの将軍たちは成功しなかった。
紀元前362年、そのミルトキュテスが反乱を起こし、ヒエロン・オロスの王の財宝を奪った。コテュスに包囲されたミルトキュテスはアテナイなどに助けを求め、コテュスもアテナイに助けを求めつつ、リュディアの太守アウトプラダテスと結んだ。アテナイはミルトキュテス側につき艦隊を送ったが、コテュスがイフィクラテスの助けで破った。紀元前361年春にミルトキュテスはヒエロン・オロスを去り、コテュスはセストスを包囲した。アテナイはスパルタと同盟してコテュスに対抗し、将軍ティモテオスがセストスとクリトテを手に入れ、さらに2人の将軍をミルトキュテス支援に送った。それでもコテュスはイフィクラテスとカリデモスの助けで優位を保った。デモステネスによれば、アテナイの指揮官たちは買収され、召還されて裁かれた者もいた。
紀元前360年までに、コテュスはケルソネソスのほぼ全域を押さえた。アテナイは新たな指揮官としてケピソドトスを送ったが、到着した9月最後の週には、コテュスはすでに殺されていた。殺したのは、アイノス出身でプラトンの弟子であるピュトンとヘラクレイデスである。2人は王の側近と思われていたが、宮殿の宴の席で、父が不当に扱われたことを口実に王を殺した。アテナイに戻った2人は名誉市民とされ、金の冠を贈られた。ピュトンは、神が自分の手を借りてこれをなさったのだと語ったという。
同じ年に亡くなった人物
- ペルディッカス3世 (紀元前359年没)
- Timotheus of Miletus (紀元前359)
- アイスキネス (ソクラテスの弟子) (紀元前 359年)
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