伝記
アウダタは、イリュリアの王女で、のちにマケドニアの王妃となった女性である。古代ギリシア語ではアウダテーと綴られる。マケドニア王ピリッポス2世の記録に残る最初の妻とされる。生没年は分からず、紀元前335年に没したと伝えられるが、紀元前359年から336年ごろまでマケドニア王妃の地位にあったとされる。
アウダタはイリュリア王バルデュリスの娘とも孫娘ともされ、姪とする説もある。ピリッポス2世は王位を固めるため、国内の争いに専念しなければならなかった。そこでイリュリア人が武力でマケドニアに押しつけた条約をあらためて確認し、アウダタとの結婚によってバルデュリスとの同盟を固めた。この結婚は紀元前360年から359年の出来事のあいだに行われたと推定されている。この措置は、国がもっとも弱っていた時期にイリュリアが全面的に侵攻してくる事態を防いだとみられる。ピリッポスはただちに権力を固め、紀元前358年にはバルデュリスを決戦で破った。
アウダタは結婚にあたって、ピリッポスの母と同じエウリュディケの名を名乗った。これは王朝上の理由によるものだろうとされ、短いあいだ正式な王妃だったためとも考えられている。一方で、エウリュディケという呼び名はアッリアノスかフォティオスの誤りだった可能性もある。ピリッポスがイリュリア風の名をギリシア風に改めさせたのかもしれず、母への孝心を示したか、身分が変わったことを示すためだったともいわれる。まもなくオリュンピアスがピリッポスの主たる妻となった。ピリッポスの最初の妻ではなく二番目の妻だったとする見方もある。
アウダタは、マケドニアの宮廷でもイリュリア人としての自覚を保ち、それを娘と孫娘にも伝えたという。イリュリアの女性は軍を率いて戦ったとされ、アウダタは一人娘のキュナネに騎乗や狩猟、戦いを教えた。キュナネも自分の娘エウリュディケに、同じように武芸の訓練を授けた。この孫娘も祖母と同じエウリュディケの名で呼ばれた。キュナネは、ピリッポスの甥アミュンタス4世の妻となった。
アウダタは、娘が十代のころまで生きていたと考えられ、娘がアミュンタス4世と結婚した時期にも存命だったかもしれない。紀元前337年から336年にかけて、アッタロスの姪クレオパトラにエウリュディケの名が与えられたことは、そのころアウダタがすでに亡くなっていたか、宮廷にいなかったことを示すのかもしれない。それでも、幼いアレクサンドロス3世がペラで彼女に会っていたことは確実だとされる。
同じ年に亡くなった人物
- バゴアス (紀元前335)
- オレスティスのパウサニアス (紀元前335)
- クレオパトラ・エウリュディケ (紀元前 335年)
同じ地域に関係する人物
- アグロン (紀元前229)
- ミカエル1世コムネノス・ドゥーカス (1215年没)
- Valerian II (257年没)