伝記
バゴアスは、アケメネス朝ペルシア帝国の宦官で、大臣を務めた人物である。紀元前336年に没した。王の側近として帝国の運営を担い、二人の王の死に関わったとされる一方、その生涯には謎が多く、最期はダレイオス3世のもとで処刑された。
バゴアスは宦官であり、ペルシアの名門の出ではなかった。王たちは、親族を引き立てて力を伸ばすペルシアの貴族よりも、宦官を信頼する傾向があったと説明されている。アルタクセルクセス3世もバゴアスを信頼し、それが彼の出世を支えた。ユダヤ側の伝承に見えるペルシア軍の指揮官と同一人物かもしれない。確かなのは、ロドス出身の傭兵隊長メントルと組んで、紀元前342年ごろからエジプトをふたたびアケメネス朝の属州とする遠征で重要な役割を果たしたことである。エジプト王ネクタネボ2世に対するこの遠征ののち、メントルは沿岸地方の将軍となり、反乱を鎮め、ギリシア人傭兵を王のもとへ送った。バゴアスは東方の総督領の最高司令官という、いわば「超総督」の地位を与えられ、のちに大臣となった。その権勢は、アルタクセルクセス3世の治世の終わりには、帝国の実質的な主といえるほどだったという。
紀元前338年、アルタクセルクセス3世が死んだ。ギリシア人の歴史家ディオドロスは、バゴアスが医師の助けを借りて王を毒殺したと伝える。王の寵愛を失ったためとされ、王の家族の大半も毒殺されたという。ただし、ロンドンの大英博物館にある楔形文字の粘土板は、王が自然死したことを示唆している。ディオドロスの話に反して、殺されたとされる者がアレクサンドロス大王の時代にも生きていたという指摘もある。バゴアスは、末の王子アルセスを王位に就けた。扱いやすいと考えたからで、アルセスはアルタクセルクセス4世となり、バゴアスが背後で権力を握る傀儡の王として約2年を過ごした。
宮廷の貴族たちはバゴアスを軽蔑していた。王位をめぐる混乱のなかで、エジプトとバビロニアの少なくとも二つの総督領が反乱を起こし、マケドニア王ピリッポス2世は小アジアのペルシア領への攻撃を準備していた。将軍パルメニオンは、紀元前336年の春にヘレスポントスを渡った。不満を募らせたアルセスはバゴアスの殺害を計画するが、バゴアスが先に動き、アルセスを毒殺した。そののち、アルセスの従兄弟を王位に就けた。これがダレイオス3世である。
ダレイオス3世は、バゴアスの支配から独立しようとした。バゴアスはダレイオスも毒殺しようとしたが、ダレイオスは事前に警告を受けており、バゴアスに自ら毒を飲ませたとされる。ほかに、遠縁のアルタシャータ(ダレイオス)が有力な戦士で、ファルナバゾスら貴族の支持を受け、王となった直後にバゴアスの処刑を命じたと説明されることもある。いずれにせよ、バゴアスを国の危機の責任者とみる見方があり、ピリッポスとその後継者アレクサンドロスがペルシアに侵攻する好機を得たともいわれる。バゴアスがなぜ恩人たちを殺したのかは、いまも分かっていない。そのほか、バゴアスはエジプトの神殿の聖典を取り上げて、多額の賄賂と引き換えに神官へ返し、巨富を得たと伝わる。スサにあった財宝に満ちた彼の邸宅は、のちにアレクサンドロスからパルメニオンに与えられ、バビロンにあった庭園は、最良のナツメヤシで知られた。アレクサンドロスがダレイオスに送った怒りの書簡では、父ピリッポスの殺害を企てた者の一人としてバゴアスの名が挙がる。
同じ年に亡くなった人物
- オレスティスのパウサニアス (紀元前335)
- クレオパトラ・エウリュディケ (紀元前 335年)
- アウダタ (紀元前335)
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