伝記
クレオパトラ(マケドニアのクレオパトラ、エペイロスのクレオパトラとも)は、古代マケドニアの王女で、のちにエペイロスの摂政となった女性である。マケドニア王ピリッポス2世とオリュンピアスの娘で、アレクサンドロス大王の唯一の同母きょうだいにあたる。異母姉妹にテッサロニケとキュナネ、異母兄にピリッポス3世がいた。生年は紀元前355年か354年とされ、没年は紀元前308年とも307年ともされる。
幼い頃は母オリュンピアスのもとでペラに育った。母は子どもたちの絆を大切にし、政治・道徳・文化にわたって一貫した教育と経験を与えようとしたという。紀元前338年、母がモロッソイ人である自身の兄弟、エペイロス王アレクサンドロス1世のもとへ亡命し、兄アレクサンドロスがイリュリアへ逃れたとき、クレオパトラは父とともにペラに残った。ピリッポスは、エペイロス王との同盟を固めるため、娘をその妻に差し出さねばならないと考えた。父が暗殺されると、クレオパトラは叔父でもある夫とともにエペイロスへ戻った。二人の間にはネオプトレモス2世とカドメイアが生まれたと考えられている。
クレオパトラは東方遠征中の兄の厚い信頼を受け、母とともに兄の側近中の側近と見なされていた。紀元前332年には、兄が戦利品を母と妹、親しい友人たちに送っている。また、ヘラクレイアの僭主ディオニュシオスのために兄へ取りなしを行い、兄に代わって事態に対処したことも知られる。紀元前334年、夫がイタリア半島へ遠征してタラスのためにルカニア人やブルッティウム人と戦う間、クレオパトラはエペイロスの摂政を務めた。穀物不足のころにはキュレネの碑文によって、5万メディムノスの穀物の受取人となり、余りをコリントスへ送ったことが分かる。夫は紀元前331年に戦死し、後継ぎのネオプトレモスは幼かったため、クレオパトラが統治を続けた。エペイロスでは、夫の死後に息子が幼ければ妻が家長となる慣習があったという。アテナイからは弔問の使節が送られた。宗教面でも国の長として振る舞ったらしく、新たに結ばれたエペイロス同盟の聖なる使節の接待役の名簿に、ただ一人の女性として名を連ねている。
兄の死後、母とともに政治に関わり続けたが、立場は不安定だった。複数の将軍がアレクサンドロスの妹との結婚を望み、まずレオンナトスが名乗りを上げた。ペラに来れば結婚するという書状の約束を受けたと、エウメネスに語ったとされる。しかしレオンナトスは、ラミアで包囲されたアンティパトロスを救おうとして戦死し、結婚は実現しなかった。その後クレオパトラは紀元前322年か321年にサルディスへ着き、ペルディッカスとの結婚に臨んだが、すでにペルディッカスがアンティパトロスの娘ニカイアに求婚していたことを知った。
同じ年に亡くなった人物
- アルケタス2世 (エピロス王) (紀元前307年没)
- Ophellas (紀元前307)
- 武王 (秦) (紀元前307年没)
同じ地域に関係する人物
- Hegesias of Magnesia (紀元前200)
- サデュアッテス (紀元前610年代没)
- ポリュクラテス (紀元前515年没)
- ヒスティアイオス (紀元前494年没)
- Mutercim Rusdu Pasa (1882年没)