伝記
サデュアッテスは、リュディア王国のメルムナス朝で第3代の王とされる人物である。アルデュスの子で、初代ギュゲスの孫、後の王アリュアッテスの父、そして名高いクロイソスの祖父にあたる。神話的なヘラクレス朝に同名の王がいるため、サデュアッテス2世とも呼ばれる。リュディア語の名は日本語で「強き父」を意味するという。
在位については説が分かれる。ヘロドトスによれば紀元前629年から617年、または紀元前624年から610年とされ、12年間の治世だったと述べられる。これに対して近年の推定では、在位はわずか2年ほどで、紀元前637年に始まり紀元前635年に終わったとされる。いずれにせよ、治世の記録は乏しい。
即位したのは、リュディアが深刻な危機に見舞われていた時期だった。遊牧民キンメリア人がたびたびリュディアを襲っており、ギュゲスの時代には撃退されたものの、紀元前644年に王リュグダミスに率いられて三度目の攻撃を仕掛け、リュディア軍は敗れ、都サルディスは略奪され、ギュゲスは殺された。跡を継いだのが子のアルデュスで、サデュアッテスの父である。さらに紀元前637年、アルデュスの治世の7年目に、ボスポロス海峡を渡ってアナトリアに侵入したトラキア系のトレレス人が、王コボスのもとでキンメリア人やリュキア人と結んでリュディアを攻めた。リュディア軍は再び敗れ、サルディスは城塞を除いて二度目の略奪を受けた。アルデュスはこの攻撃で殺されたか、キンメリア人の攻撃からリュディアを守れずに退位させられたとみられている。
サデュアッテスについて確かなのは、イオニアのギリシア人の海港都市ミレトスとの戦争を始めたことくらいだという。ヘロドトスは、サデュアッテスがリュディアの脅威だったキンメリア人を最終的にアナトリアから追い出し、ギリシア人の都市スミュルナを征服し、クラゾメナイやミレトスとも戦ったと伝える。一方で、治世の終わりについては、祖父ギュゲスと同じようにキンメリア人との戦いで死んだ可能性がある。あるいは、攻撃から国を守れなかったために廃されたのかもしれない。暗殺されたともいわれる。
跡を継いだのは子のアリュアッテスで、ミレトスとの戦争を続け、リュディアを強大な帝国へと押し上げたとされる。紀元前635年のすぐ後には、アッシリアの承認を得て、王マデュエスに率いられたスキタイ人がリュディアと同盟してアナトリアに入り、トレレス人を小アジアから追い払い、キンメリア人を破って脅威でなくした。ストラボンはマデュエスにその功を帰し、ヘロドトスらはサデュアッテスの子アリュアッテスがキンメリア人を最終的に破ったと述べている。