伝記
ハーラル2世は、10世紀のノルウェーの王で、「灰衣王」の異名で知られる。古ノルド語ではハラルドル・グローフェルドルという。935年頃に、ノルウェー王エイリーク血斧王と妃グンヒルドの子として生まれ、970年頃に没した。ハーラル美髪王の孫にあたる。父エイリークは930年代前半にノルウェー王となったが、934年頃に異母弟ホーコン善王との王位争いに敗れて追放された。その後、北東イングランドのヨークで王位に就いた時期があり、954年に死去した。息子たちは追放後に国外で育ったとされるが、ハーラル自身の居住地までは特定されていない。
母グンヒルドの出自は伝承によって異なる。『ヘイムスクリングラ』のスノッリは、フィンマルクで父エイリークと出会ったとするが、1180年頃のラテン語のノルウェー史書は、デンマーク王ゴーム老王の娘、つまりハーラル青歯王の姉妹としている。近代以降の歴史家のほぼ全てが後者を採るため、青歯王はハーラルたちの母方の叔父にあたる。エイリークの息子たちの人数と構成にも伝承の混乱があり、スノッリはガムリ、グットルム、ハーラルら7人を挙げるが、ガムリとグットルムは実際には「老いたるグットルム」という一人の人物だった可能性も指摘されている。王権サガは、ガムリが当初兄弟の「上王」で、その死後にハーラルがこの地位を継いだと描くが、その称号がどのような権限を意味したかは明確でない。
父の死後、エイリークの息子たちは失われたノルウェー王権を求め、ホーコン善王への攻撃を続けた。950年代にはデンマーク王ハーラル青歯王の軍事的支援を受け、ノルウェーへ繰り返し侵攻した。ヴィーケンでは守備にあたる者との戦闘が何度も行われ、双方が交互に勝ったという。アヴァルズネスの戦いでは、ホーコンがトロンデラーグ人を伴うシグル・ラーデ伯と合流して迎え撃ち、グットルムが倒れて兄弟の軍は船に退いた。ラスタルカルヴの戦いでは、ホーコン側が船9隻、約400人、侵攻軍が船約20隻、約800人と推定される。老戦士エギルが丘の背後で軍旗だけを敵に見せる策を用い、後方部隊が動揺して後退したが、グットルム・ガムリが兵を立て直した。エギルは戦死し、ガムリも重傷を負って死んだ。生き残った兄弟は海を渡ってデンマークへ退いた。
960年または961年頃、兄弟は再び青歯王の支援を得て新たな艦隊を編成し、ノルウェーへ向かった。ホーコンはホルダランのフィチャールで宴を開いており、事前に知らされていなかった。見張りは王に報告をためらい、まずスカルド詩人に伝えたという。ホーコンはこの戦いで致命傷を負って死去し、兄弟はハーラルを指導者としてノルウェーの統治を共同で引き継いだ。支配は主に西ノルウェーを基盤とし、兄弟は青歯王を宗主として認めていたとされる。その後、シグル・ラーデ伯を殺害してトロンデラーグ方面へ勢力を広げたが、その子ホーコン・ラーデ伯との抗争が続いた。
ハーラルに仕えたスカルド詩人グルーム・ゲイラソンの『グラーフェルダルドラーパ』は、アイルランド人との戦闘、「東方」での軍事活動、ビャルマ人との戦い、そしてリムフィヨルドでの最期を歌っている。青歯王との関係が破綻した理由は明らかでない。ハーラルは970年頃、デンマークのリムフィヨルドにあるハルスで戦死した。治世の終わりは確定せず、970年頃が最有力だが、965年頃または975年頃とも考えられる。
同じ年に亡くなった人物
- フェルナン・ゴンサレス (970年没)
- ポリュエウクトス (970年)
- ハスダイ・イブン・シャプルト (970年代没)
- 藤原実頼 (970年没)
- ペタル1世 (970年(推定))
同じ地域に関係する人物
- Poul Dalsager (2001年没)
- ヘニング・カールセン (2014年没)
- オイゲン・シュミット (1931年没)
- イェンス・オト・クラーウ (1978年没)
- ヤペトゥス・ステーンストロップ (1897年没)