伝記
フェルナン・ゴンサレスは、910年頃に生まれ、970年に没したカスティーリャ伯、アラバ伯である。武勲詩に登場する人物として知られ、イベリア半島で数々の伝説に彩られた。レオン王国の宗主権を認めながら半ば独立国としてカスティーリャを治め、のちに独立王国となるカスティーリャの基礎を築いた家系の始祖とされる。
ブルゴス伯、カスティーリャ伯であったゴンサロ・フェルナンデスと妻ムニアドナの子で、ララの城で育った。父ゴンサロは分断されていたカスティーリャの再統合を始めていたが、915年に死ぬと、伯位は父の弟たちが継いだ。929年や930年に、レオン王国東部の行政組織内の伯として名が現れるが、932年以前の文書は偽作の可能性もある。931年または932年に、フェルナンはブルゴス、ララ、ランタロン、セレソ、アラバなどの伯領の統治をまとめた。932年のカルデーニャ修道院の文書で初めてカスティーリャ伯と記され、同年にアラバ伯アルバロ・エラメリスが死ぬと、その未亡人であるパンプローナ王女サンチャと結婚した。この結婚は、カスティーリャの統一だけでなく、半島北部のキリスト教国家の政治同盟を強化することにもなった。
フェルナンはレオン王ラミロ2世とともにイスラム勢力と戦った。934年にはアブド・アッラフマーン3世の軍がカスティーリャに進み、アラバを荒らしブルゴスを破壊し、カルデーニャで200人の修道士を殺したが、帰途にオスマで待ち構えていたラミロ2世とフェルナンの軍に敗れた。939年8月のシマンカスの戦いでも重要な役割を果たした。940年にはセプルベダを征服して再植民を行い、同地に入植者を誘致するための特許状を与えた。力が増すにつれ、レオン王国からの独立性も強まった。
やがてラミロ2世が辺境地帯にレオン軍を駐留させたことなどに不満を抱いて反乱を起こし、944年に伯の称号を奪われた。ラミロ2世は子サンチョをカスティーリャ伯とし、重臣アンスル・フェルナンデスを摂政とした。フェルナンは敗れて約1年、一説には3年投獄されたが、忠誠を誓って釈放され、娘ウラカを王の世継ぎオルドーニョと結婚させた。951年のラミロ2世の死でレオンの王家が危機に陥ると、フェルナンはこれを利用した。初めはサンチョ王子の要求を支持したが、サンチョが敗れるとオルドーニョ3世を王と認めさせられた。オルドーニョ3世の急死でサンチョが1世として即位すると、今度はこれと結ばず、娘ウラカの再婚相手オルドーニョ4世と同盟した。955年にはイスラム軍を破ったともされる。959年に妃サンチャが死んだ。960年にサンチョ1世に代わってナバラへ侵攻して敗れ、サンチャの兄弟であるパンプローナ王ガルシア・サンチェス1世に捕らえられたが、領土の一部を割譲し、オルドーニョ4世の支援で釈放された。964年にはサンチャの姪にあたるパンプローナ王女ウラカと再婚してナバラとの同盟を固め、レオンが弱まるなかでカスティーリャ伯としての自治を固めていった。
970年に没すると、子のガルシア・フェルナンデスが伯位を継ぎ、2度目の妃ウラカはナバラへ帰国した。遺体はサン・ペドロ・デ・アルランサ修道院に葬られ、1841年にサンチャとともにコバルビアスの参事会教会へ移された。生涯と事績は、1250年から1271年の間に無名の人物が記した『フェルナン・ゴンサレスの詩』に記録されており、作中では「善良伯」と呼ばれる。
同じ年に亡くなった人物
- ペタル1世 (970年(推定))
- ハーラル2世 (ノルウェー王) (970年没)
- 藤原実頼 (970年没)
- ハスダイ・イブン・シャプルト (970年代没)
- ポリュエウクトス (970年)
同じ地域に関係する人物
- ガルシア3世 (ナバラ王) (1054年没)
- フアン・ヤグエ (1952年没)
- ワンバ (688年没)
- ドミンゴ・デ・シロス (1073年没)
- フェリペ1世 (カスティーリャ王) (1506年没)