伝記
ニカイア(マケドニアのニカイア)は、アレクサンドロス大王の死後にマケドニアで摂政として大きな力をもったアンティパトロスの娘である。母の名は伝わっていない。紀元前335年ごろの生まれとされ、父がアレクサンドロス王の治世にマケドニアの総督を務めていたころ、マケドニアで生まれ育った。のちにトラキア王リュシマコスの妃となり、その名は小アジアの都市ニカイア(現在のトルコのイズニク)に残った。
紀元前323年、ニカイアは父の手でアジアへ送られた。兄弟のイオラオスと、アルキアスという人物が付き添った。目的は、マケドニアの武将ペルディッカスと結婚することだった。ペルディッカスが摂政アンティパトロスとの友好的な関係を保ちたいと考えていたころの縁組である。ペルディッカスは、すでに敵意を抱いていたともいわれるが、ニカイアと結婚した。一方、結婚の経緯をめぐっては伝承が一致しない。独眼のアンティゴノスがペルディッカスの意図を疑っていたこともあり、ペルディッカスはアンティパトロスを敵に回したくなかったため、ひとまずニカイアと結婚したと伝えられる。ペルディッカスは軍の統制権を握り、王たちの後見人になると、自ら王位をうかがうようになった。そして、アレクサンドロスの実の妹クレオパトラと結婚すればそれが叶うと考えた。エウメネスの助言もあって、エジプト遠征に出発する前にニカイアと離縁することを決めた。この決定によって、ペルディッカスとアンティパトロスの関係は直ちに破綻した。ただし、アンティパトロスが娘をペルディッカスに嫁がせることを拒んだとする説もあり、この結婚が実際にあったのかどうかについて、はっきりしたことは分かっていない。ペルディッカスは紀元前321年に暗殺された。
紀元前321年ごろ、アンティパトロスは同盟協定の一環として、ニカイアをトラキアの統治者リュシマコスに嫁がせた。リュシマコスは紀元前306年にトラキア・小アジア・マケドニアの王となり、ニカイアは王妃となった。ニカイアはリュシマコスとの間に三人の子をもうけた。息子アガトクレスと、娘エウリュディケ、アルシノエ1世である。アガトクレスはリュシマコスの長男で、のちに父の手で殺されたとされ、その時期は紀元前283年ごろという。アルシノエ1世を通じて、ニカイアはエジプトのプトレマイオス家の子孫にもつながる。
ニカイアは、紀元前302年から前300年のどこかで世を去った。死因は分かっていない。リュシマコスは彼女の死後、紀元前302年にアマストリスと、前300年にはほかの女性と再婚した。リュシマコスは亡き妻をしのび、紀元前301年ごろ、ビテュニアにあったアンティゴノスが築いた都市アンティゴネイアを改称して、ニカイアと名づけた。これが現在のイズニクである。
同じ年に亡くなった人物
- アンティゴノス1世 (紀元前301年没)
- Abdalonymus (紀元前301)
- Glaucias of Taulanti (紀元前301)
- ラゴス (紀元前301)
- Mithridates II of Cius (紀元前301)
同じ地域に関係する人物
- アエロポス1世 (紀元前576年没)
- パウサニアス (マケドニア王) (紀元前393年没)
- Marsyas of Pella (紀元前360)
- Paeonius (紀元前460)
- ゲオルギオス・マニアケス (1043年没)