伝記
キオスのミトリダテス2世は、ペルシア系の貴族で、小アジア北西部ミュシアのギリシア人都市キオスを治めた統治者である。紀元前386年ごろの生まれとされ、紀元前337年にアリオバルザネス2世の跡を継いで支配者となった。アリオバルザネスは親族とも父ともいわれ、史料によって関係の説明が分かれている。
シケリアのディオドロスは、ミトリダテスの統治を35年間としている。ただし、その間ずっと連続して支配していたわけではないらしく、一時は追われたか従属を強いられたとみられる。そこに至った事情は分かっておらず、晩年に死が語られるまで、その動静はほとんど知られていない。アレクサンドロス大王の死後の争いでは、はじめエウメネスに味方し、エウメネスが敗れるとアンティゴノスのもとへ移ったとされる。
紀元前302年、ミトリダテスはキオスで暗殺された。アンティゴノスに服属していたものの、カッサンドロスとその同盟者の連合に加わることを恐れられ、イプソスの決戦を前に排除されたのである。サモサタのルキアノスによれば、このとき少なくとも84歳に達していたという。この年齢から、若いころにダタメスをだまして殺害した、アリオバルザネスの子ミトリダテスと同一人物だった可能性が高いと考えられている。ダタメスの殺害は、紀元前360年代の太守の反乱のなかで、ミトリダテスが信頼を得たうえで謀ったものとされ、前362年のことと伝えられる。同じ人物が自分の父をペルシアの宗主に引き渡し、父は前362年に磔にされたとも語られる。
なお、紀元前362年から337年のあいだ、ミュシアにある一族の領地キオスはアリオバルザネス2世が保持しており、この人物はミトリダテスの兄弟だった可能性もある。また、紀元前401年ごろに小キュロスに同行したミトリダテスや、前5世紀末のカッパドキアとリュカオニアの太守ミトリダテスと同一人物だとする証拠はない。
のちにポントス王国を建てたミトリダテス1世は、この人物の親族である。息子とする伝えがある一方、兄弟オロンタバテスの子、つまり甥とする説もあり、はっきりしない。
同じ年に亡くなった人物
- ラゴス (紀元前301)
- シュラクサイのカリッポス (紀元前301)
- Glaucias of Taulanti (紀元前301)
- マケドニアのニケア (紀元前301)
- ティトゥス・マンリウス・インペリオスス・トルクァトゥス (紀元前 301年(推定))
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