HISTORICAL PERSON · 紀元前300没

クレイタルコス

アレクサンドロス大王の歴史家の一人。歴史家ディノンの子で、プトレマイオス1世の宮廷で過ごした。その書は広く読まれた。

生涯
紀元前300没
死亡地
—
出生地
トルコ共和国(イズミル県 / コロポン)
出典
世界地図
トルコ共和国(イズミル県)

伝記

クレイタルコス(クリタルコスとも、アレクサンドリアのクリタルコスとも呼ばれる)は、古代ギリシアの歴史家・弁論家で、アレクサンドロス大王の事績を述べた『アレクサンドロス史』の著者である。没年は紀元前300年とされるが、生年は不明で、活動した時期についても今なお意見が分かれている。

父は『ペルシア史』を著したコロポンのディノンで、ディノンはアリストテレスの弟子でもあったとされる。クレイタルコスははじめキュレネ派の創始者である哲学者アリスティッポスに学び、のちにメガラで哲学者スティルポンに師事したと伝えられる。やがてギリシアに長く滞在し、マケドニアによる征服やラミア戦争の時代に、アレクサンドロスに従った兵士や将校、使節、技術者、商人、旅行者、あるいはペルシア人と関わりのあった人々の証言を集めはじめたという。カリステネスの記述も、材料の一部としたとされる。

その後はプトレマイオスの宮廷で長く過ごしたとされる。プトレマイオスが紀元前308年ごろにギリシアを訪れ、コリントス同盟を自らの手で再建しようとしていたころ、クレイタルコスはその宮廷に加わったのかもしれない。後にエジプト王となるプトレマイオスは、アレクサンドロスの後継者を自任し、その遺体と記憶の守り手として、大王の記憶をたたえる芸術家や歴史家を宮廷に招こうとしていた。クレイタルコスは、新しく築かれたアレクサンドリアで大王への崇敬を目の当たりにし、没するまでその地にとどまったとされる。

主著の『アレクサンドロス史』は十二巻からなる大作で、実際には十四巻か十五巻あったとする見方もある。ディオゲネス・ラエルティオスが引くインドの裸行者に関する巻の存在が、その手がかりとされる。執筆には二十年ほどを要したらしく、第一巻は前320年ごろ、最終巻は前295年ごろに出たとする推定がある。この年代は、後半の巻で用いられたアリストブロスの回想録の成立時期にもとづく。作品は客観的な叙述というより、大王をたたえる伝記の性格が強く、歴史に驚異の物語を交えた伝統の源となった。この伝統は「アレクサンドロス・ウルガタ」と呼ばれる。シチリアのディオドロス、ポンペイウス・トログス(その要約がユスティヌス)、クルティウス・ルフスらが主要な典拠として用いたが、彼らはほかの典拠も併用した。プルタルコスやアレクサンドロス物語の作者たちにも多く用いられたとされる。

古代の評価は割れていた。クィンティリアヌスは、才能は認めても信頼性には欠けると評し、キケロはテミストクレスの死について作り話を述べたと非難した。文体は不自然で誇張が多く、その癖は諺のようになった。それでも著作はギリシア人にもローマ人にも広く読まれた。ただし作品はほぼ失われ、三十ほどの断片がアイリアノスやストラボンらの著作に残るにすぎず、しかもそのほとんどは大王の事績そのものを扱っていない。近年、オクシリンコスから出たパピルスに、クレイタルコスがプトレマイオス四世フィロパトル(在位は前221年から205年)の家庭教師だったとする記録が見つかった。これにより、著作の時期は前4世紀後半ではなく前3世紀の半ばから後半だとする説が出た。ディオドロスは「のちにアレクサンドロスとともにアジアへ渡った人々」とクレイタルコスらに言及しており、本人が遠征に加わったのか、別人なのかをめぐっても論争がある。「アレクサンドリアの」という呼び名が出生地を示すのか、居住地を示すのかも定かでなく、年代論争は決着していない。

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