伝記
シュトッケラウのコロマン(コルマーンとも、ハンガリー語でカールマーン)は、1012年に没したアイルランド出身の聖人である。聖地へ向かう巡礼の途上、その異様な身なりのために間諜と疑われ、ウィーン近郊で絞首刑に処された。アイルランドまたはスコットランド出身の修道士で、王家の血筋であったかもしれないといわれる。後世の伝承では、アイルランド上王マエル・セクネイル(1022年没)の子とされる。
死去した当時、オーストリア、モラヴィア、ボヘミアの間では小競り合いが絶えなかった。コロマンはドイツ語を話せず、自分が何者であるかを相手に理解できる形で説明することができなかった。そのため拷問を受けたうえ、数人の盗賊とともに、ウィーンから20キロメートルほどのシュトッケラウで絞首刑にされたという。処刑の日は1012年7月16日とも、10月18日に没したともされる。
この死ののち、遺体をめぐって数々の不思議が語られるようになった。伝説によれば、遺体は18か月のあいだ腐らず、鳥や獣にも荒らされなかった。絞首台の木は根を張り、緑の枝を伸ばして花を咲かせたといい、その枝の一本はシュトッケラウのフランシスコ会教会の主祭壇の下に保存されているという。土地の人々は、処刑への悔恨からか、あるいは拷問に耐えた姿と墓所で報告された多くの奇跡のためか、彼を聖人として敬うようになった。
1014年10月13日、オーストリア辺境伯ハインリヒの求めにより、司教メギンガルトが遺骨をメルク修道院へ移した。のちに遺骨はハンガリーへ運ばれたが、やがてセーケシュフェヘールヴァールの大聖堂からメルクへ戻され、現在もそこに安置されている。歴代のオーストリアの統治者が墓所に手を加え、聖遺物箱そのものはバロック様式で作られた。
コロマンは民衆の篤い崇敬の対象となり、オーストリア、プファルツ選帝侯領、ハンガリー、バイエルンに多くの教会や礼拝堂が献じられ、アイルランドでも敬われている。巡礼者の姿で、絞首刑を思わせる縄を手にした姿で描かれる。動物の守護や疫病除けにも祈られ、オーストリアの守護聖人の一人とされる。ハンガリーでは、ゲーザ1世が息子の国王カールマーンにその名をつけ、13世紀にはベーラ4世の弟もハリチ・ヴォロディミルの王カールマーンとして同じ名で呼ばれた。ドイツのシュヴァンガウやフランスのガルブールには、彼にちなむ教会がある。
同じ年に亡くなった人物
- カンタベリーのアエルヘアー (1012年没)
- ヘルマン3世 (シュヴァーベン大公) (1012年没)
- Guy of Anderlecht (1012年没)
- カーブース (1012年)
- セルギウス4世 (ローマ教皇) (1012年没)
同じ地域に関係する人物
- Moritz Gottlieb Saphir (1858年没)
- パウル・カンメラー (1926年没)
- ローザ・アルバッハ・レッティ (1980年没)
- フリードリヒ・フェルディナント・フォン・ボイスト (1886年没)
- フランツ・ザッハー (1907年没)