HISTORICAL PERSON · 1020年代没

レイフ・エリクソン

アイスランド生まれのヴァイキングの航海者で、赤毛のエイリークの子。サガによれば、ヨーロッパからアメリカ大陸に史上初めて到達した。

生涯
1020年代没
死亡地
グリーンランド(クヤレック / ブラッターフリーズ)
出生地
アイスランド(Eiriksstadir)
出典
世界地図
グリーンランド(クヤレック)

伝記

レイフ・エリクソンは、970年ごろに生まれ、1020年ごろに没したとされるノルマン人の航海者(ヴァイキング)で、ヨーロッパ人として初めてアメリカ大陸に到達したと、サガによって伝えられる人物である。「幸運なるレイフ」というあだ名でも知られ、赤毛のエイリークの子にあたる。生年は10世紀の後半と推定されるにとどまり、生地はサガに記されていないが、両親が出会ったアイスランドと考えられている。

祖父はノルウェーで殺人を犯して追放され、一家がアイスランドへ渡った人物で、父エイリークものちにアイスランドから追放されて西へ航海し、グリーンランドと名づけた地を発見した。986年に家族や入植者を連れて戻り、グリーンランド初の恒久的な入植地を築いたとされる。レイフはこの父の長男で、グリーンランドの東入植地にある一族の屋敷ブラッタフリーズで育った。二人の兄弟トルステインとトルヴァルド、姉妹フレイディースがいた。父の奴隷ティルケルは、エイリークの子供たちの世話を任されており、レイフは彼を「育ての父」と呼んだという。若いころにはノルウェーに渡って、王オーラヴ・トリュグヴァソンの宮廷に滞在し、そこでキリスト教に改宗した。そして学んだ教えをグリーンランドにもたらし、教会を建てたと伝えられる。

ヴィンランドへの航海については、「赤毛のエイリークのサガ」と「グリーンランド人のサガ」がそれぞれ伝えていて、どちらも1200年ごろに書かれたと考えられるが、内容は食い違う。これらは文学作品としての性格が強く、史実としての正確さは学者のあいだで議論されている。前者によると、レイフはノルウェーからグリーンランドへ向かう途中、嵐で航路を外れて未知の岸に着き、野生のブドウや自生する小麦、カエデの木を見つけた。彼はその見本を積んでグリーンランドへ戻る途上で、難破した船乗りたちを救い、これと、グリーンランドをキリスト教に導いた功績から「幸運なる」の名を得たとされる。後者では、先にビャルニ・ヘリョールフソンが漂流して未知の陸地を見ており、およそ15年後にレイフがその船を買い、35人の乗組員を集めて、逆の航路をたどったという。上陸した土地には、平らな岩に覆われた「ヘッルランド」、森の「マルクランド」、そしてブドウの「ヴィンランド」と名づけたところがあり、ヴィンランドには前線基地を置いた。それは西暦1000年ごろのことであったという。

ヴィンランドは、川にサケが上る住みやすそうな土地と見えたため、まもなく数百人の入植者がグリーンランドから向かったが、先住民との関係などもあって入植地は長続きせず放棄された。レイフ自身は、前者のサガによれば再びヴィンランドを訪れず、父の死後、グリーンランドの入植地の首長として生涯を送った。トルギルスとトルケルの二人の息子がいたことが知られる。ヴィンランドの位置は議論が続いてきたが、ニューファンドランド島のランス・オー・メドーで、1960年代以降にヴァイキングの遺跡が確認され、この島に比定する意見がほぼ定説となっている。この遺跡は世界遺産にも登録された。アメリカでは19世紀以来、毎年10月9日が彼の到達を祝う記念日とされているが、コロンブス・デーほどは知られていない。彼はコロンブスの「発見」に約500年先立つ到達者とされるものの、その情報がヨーロッパ諸国に広まった形跡は乏しく、「アメリカ大陸の発見者」として扱われることは少なかった。

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