伝記
ディカイアルコスは、ギリシアの哲学者、地理学者、著作家である。シチリアのメッサナに生まれ、父の名はペイディアスという。アリストテレスの学園リュケイオンで学んだ弟子であり、アリストクセノスの友人でもあった。キケロには、彼に宛てた手紙が残っていることが記されている。生涯の一部はギリシア本土で過ごし、とくにアテナイとペロポネソス半島に滞在した。山の高さを測るために各地を旅したともいう。
生没年ははっきりしない。確実な手がかりは、アレクサンドロス大王が死んだ紀元前323年より後に生きていたという点だけである。プリニウスは、彼が「王たちの支援を受けて」山を測量したと述べる。この王たちをカッサンドロスとプトレマイオス1世とみる学者が多く、その場合、彼の活動は紀元前306年から287年の間になる。一方、大王の死後に名目上の王であったフィリッポス3世アリダイオスとアレクサンドロス4世を指すとすれば、活動は紀元前323年から317年となる。かつては友人にテオフラストスを加える見方もあったが、これは彼の名で伝わる偽作『ギリシア案内』に出てくる同名の人物に基づくもので、その偽作は実際には別の詩人と別の著者の文章の抜粋にすぎない。
古代の人々は、彼を哲学者として、また広い分野に通じた博識の人として高く評価した。ただし著作は地理、政治、歴史、哲学にわたるものの、後世の著者による断片的な引用でしか知られず、正確な著作目録を作るのは難しい。地理学の仕事はポリュビオスにさまざまな点で批判されたと、ストラボンは伝える。ストラボン自身は、西ヨーロッパや北ヨーロッパについての彼の知識不足に寛容であった。ポリュビオスと違い、彼はそれらの地を訪れたことがなかったからである。現代の学者はしばしば彼を地図作成の先駆者とみなすが、これはキケロの記述の誤読に基づく。キケロの言う「タブラエ」は地図ではなく、帳簿の意味にかけた洒落であり、彼の著作『トロポニオスの聖域への下降』を指している。
最も有名な著作は三巻の『ギリシア人の生活』である。題名を明記して引かれる断片は少ないが、題名なしに引かれる文化史の断片の多くがこの書のものとみられる。彼はギリシア民族の伝記を、最古の時代からフィリッポス2世の治世まで書こうとしたらしい。ウァッロやポルピュリオスが引いた太古史の箇所が最も名高く、衰退と進歩の二つの考えを組み合わせている。ヘシオドスから「黄金の種族」の観念を取り入れ、人々が貪欲になって戦争が起こり、堕落したと説く一方で、初期の人間の厳しい暮らしや技術の段階的な発明といった進歩の考えも併せ持っていた。彼は人類の歩みを三段階に分けた。大地が自然に実らせる果実で暮らした黄金の種族の段階、動物を飼いならし狩りをする牧畜の段階、そして農耕が導入された段階である。
ポリスの起源については、結婚による家族の拡大と兄弟姉妹の血縁から説明した。多くの都市で市民が分けられていた氏族や部族などの組織に、その発展のさまざまな段階が反映されているという。また第一巻でエジプトとバビロニアを扱ったのは、おそらくギリシア人に先行する文化としてであった。さらに、エウリピデスの『メデイア』が、無名の悲劇作家ネオフロンの『メデイア』を盗用したと述べたともされる。ほかに音楽や演劇の競技を論じた書もあり、ギリシア音楽や劇の革新を扱っていた。紀元前280年に没したとされる。
同じ年に亡くなった人物
- ヘロフィロス (紀元前280年没)
同じ地域に関係する人物
- Pietro Carrera (1647年没)
- フェデリーコ3世 (シチリア王) (1377年没)
- ハインリヒ6世 (神聖ローマ皇帝) (1197年没)
- アルフォンソ2世 (ナポリ王) (1495年没)
- アントネロ・ダ・メッシーナ (1479年没)