伝記
オジーヴ・ド・リュクサンブール(ルクセンブルクのオジーヴ)は、フランドル伯ボードゥアン4世の最初の妃である。990年ごろに生まれ、1030年に没したとされる。父はモーゼルガウの伯フリードリヒ・ド・リュクサンブールである。
1012年ごろ、オジーヴはフランドル伯ボードゥアン4世と結婚した。夫は980年に生まれ、父アルヌール2世の死により987年にフランドル伯となった人物で、若年のあいだは母や祖母が摂政を務めたとされる。ひげの見事さから「髭伯」「美髭伯」と呼ばれた。オジーヴが嫁いだころ、夫は神聖ローマ皇帝からヴァランシエンヌやゼーラントの島々を封土として受けていたとされ、領地を東や北へ広げつつあった。
二人のあいだには子が生まれた。のちにフランドル伯となるボードゥアン5世は1012年の生まれで、1067年に没した。娘のエルマンガルドは、ガン伯アダルベルト(1032年没)に嫁いだ。もう一人の娘はウルファール・ド・ギストルに嫁いだ。
夫は南部を家臣のゲーヌ、エダン、サン=ポルの各伯に任せ、東や北の領地に力を注いだ。ブルッへは港と町が拡張され、最初の自治的な自由を受けたとされる。ダンケルクもこの時代に建設されたという。オジーヴの家族に関わる出来事としては、1028年に夫がボードゥアン5世をフランス王ロベール2世の娘アデルと結婚させたことがある。その2年後の1030年、ボードゥアン5世は不満を抱く諸侯を率いて父に反乱を起こした。父は領地から追われてノルマンディーへ逃れたが、ノルマンディー公ロベールの強い支援で短期間のうちに領地を取り戻し、オーデナールデで息子を屈服させたと伝えられる。
オジーヴは1030年に没した。この年は息子の反乱と同じ年である。夫はやもめとなったのち、ノルマンディー公リシャール2世の娘エレオノールと再婚し、娘ジュディットをもうけた。ボードゥアン4世は1035年5月30日に没し、ガンのサン・ピーテル修道院に葬られた。オジーヴの生涯について確かに分かることは多くないが、その血筋はフランドル伯の系譜を継いだボードゥアン5世へとつながっている。
同じ年に亡くなった人物
- アダルベロン (ラン司教) (1030年没)
- マフムード (ガズナ朝) (1030年没)
- オーラヴ2世 (ノルウェー王) (1030年没)
- エルンスト2世 (シュヴァーベン大公) (1030年没)
- ミスカワイヒ (1030年没)
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