伝記
エストリッド(オボトリート人のエストリッド)は、979年ごろに生まれ、1035年ごろに没した、ヴァイキング時代のスウェーデン王妃である。西スラヴ系の王女で、スウェーデン王オーロフ・シェートコヌングの妻となった。1000年ごろから1022年ごろまで王妃の座にあったとされ、国王アーヌンド・ヤーコブと、キエフ・ルーシの聖女で大公妃となったインゲゲルドの母として知られる。
出自は、メクレンブルクに住んだポラーブ系オボトリート人の部族長の娘とされる。スカンジナビア風の「エストリッド」という名でしか知られていない。スウェーデンへ来た経緯には諸説がある。伝説では、西スラヴ人の地メクレンブルクでの戦いから、戦利品として連れ帰られたといい、のちの夫がスヴォルドの海戦に勝ったあとに来たとする伝えもある。最もありそうなのは、父が和平を固めるための贈り物として、結婚の形で差し出したという説である。多額の持参金を携えてきたとされ、彼女の時代からスウェーデンでは、とくに職人のあいだにスラヴの影響が目立つようになったといわれる。
夫のオーロフ王にはエドラという愛人もいた。エドラは同じ地方の出身で、おそらくほぼ同じ時期にスウェーデンへ連れてこられたとされる。王はエドラとエストリッドを同じように扱い、エドラとのあいだの息子一人と娘二人にも、エストリッドの子と同じ特権を与えた。ただし、正式に結婚して王妃としたのはエストリッドだった。1008年、スウェーデン王家がキリスト教に改宗したとき、エストリッドも夫や子ら、宮廷の多くの人々とともに洗礼を受けた。ただし王は信教の自由を尊重すると約束しており、スウェーデンが本格的にキリスト教の国となるのは、1084年から1088年にかけて行われたインゲ老王とブロート・スヴェンの最後の宗教戦争のあとであった。
エストリッドの子は、1001年ごろに生まれたインゲゲルドと、1010年ごろに生まれたアーヌンド・ヤーコブである。インゲゲルドはロシアでアンナと呼ばれ、ノヴゴロドとキエフの公ヤロスラフ賢公の妻となり、1054年ごろまで生きた。アーヌンドは1022年ごろ父の跡を継いで王となり、1050年ごろに没した。アーヌンドの生年を1008年ごろとする説もある。
人柄についてはあまり多くが知られていない。スノッリ・ストゥルルソンは、エストリッドが傲慢で、継子たちに優しくなかったと書いた。継子とは、エドラの子エムンド、アストリッド、ホルムフリッドである。そのため王は息子エムンドをヴェンドランドに送り、エムンドは母方の親族のもとで育てられた。スノッリはまた、彼女が華やかさと贅沢を好み、召使いに対して厳しかったとも記している。
同じ年に亡くなった人物
- ロベール1世 (ノルマンディー公) (1035年没)
- サンチョ3世 (ナバラ王) (1035年没)
- アフマド・イブン・ムハンマド・アル=サラビー (1035年没)
- 犬のソーリル (1035年没)
- アストリッド・オーロフスドッテル (1035年没)
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