伝記
ラミロ1世は、1007年頃に生まれ、1063年5月8日に没したアラゴン王国の初代国王である。在位は1035年から1063年とされる。父はナバラ王サンチョ3世(大王)、母はサンチャ・デ・アイバルで、父にとっては最初の男子だったが、正式な婚姻によらない庶子であったため長子相続からは外れた。それでも当時の文書は彼を庶子扱いせず、弟たちと同じく「小王」を意味する語で呼んでおり、母とともに宮廷で育ったという。母サンチャは、1004年から1011年まで幼いサンチョ3世の後見を務めた人物で、ラミロが生まれたのはその時期にあたる。ナバラ王ガルシア3世、カスティーリャ王フェルナンド1世、ソブラルベ伯ゴンサロは異母弟にあたる。
1035年に父が没すると、ラミロはハカを中心とするアラゴン川流域の領地を受け継いだ。ただし自身の確かな文書では王を名乗らず「サンチョ王の子ラミロ」と記しており、生前に王号を用いたかどうかは議論がある。一方で、同時代の人々は貴族や諸侯の忠誠を受ける彼を王として扱い、ナバラ王ガルシア3世やその子サンチョ4世も王と呼んだとされる。1036年にはビゴール伯ベルナール1世・ロジェの娘ジェルベルジュ(結婚時にエルメシンダと改名)と結婚した。これがフォワ伯領との長い同盟の始まりとなり、子には後継のサンチョ・ラミレス、ハカ司教となるガルシア、そして数人の娘がいて、王家の継承は固まった。
アラゴンの領地は兄弟のなかで小さく、ラミロは領土の拡大を求めて出兵を重ねた。1043年ごろには兄ガルシアの領土を奪おうとして戦い、サラゴサのタイファの首長の協力も得たが、タファリャの戦いで敗れ、ソブラルベとリバゴルサに退いたとされる。この二つの地は弟ゴンサロの死後に得た土地で、その死は1043年とも1045年ともされる。やがて弟フェルナンドの仲介もあってガルシアと和解したらしく、サラゴサとの同盟は解け、奪われた土地も戻った。1049年には、ヴァドルエンゴからリバゴルサまで統べると述べている。さらに1052年と1054年にはベナバーレとロアーレを手に入れ、ウルジェイ伯アルマンゴル3世らと結んでラグアレスやベナバーレなどの城も攻め取った。アルマンゴル3世とは縁組を重ね、長子サンチョ・ラミレスをアルマンゴル3世の娘と結婚させ、娘のサンチャも1065年にアルマンゴル3世に嫁いでいる。こうした結びつきは、バルセロナ伯ラモン・ベレンゲール1世の中部シンカ川流域への野心に対抗するためのものだった。
内政では信頼する貴族に要衝の城の管理を任せ、サン・アドリアン・デ・ササーベに置く「アラゴン司教」の地位を固めた。のちに子のサンチョ・ラミレスが、当時は村にすぎなかったハカを都市とし、王国の首都と司教座の所在地にしている。
1063年、ラミロはサラゴサ王国の要衝グラウスを包囲した。サラゴサ王ムクタディルを庇護していたカスティーリャは援軍を送り、のちのサンチョ2世とまだ若かったエル・シッドの率いる軍がこれに加わった。ラミロはこの戦いの最中に戦死し、息子のサンチョ・ラミレスが王位を継いだ。その死は、サラゴサ王に仕える熟練の兵の手によるものだったとみられている。サンチョ・ラミレスはのちにアラゴン王サンチョ1世、ナバラ王サンチョ5世となった。二度目の妻には、アキテーヌ公の娘とみられるアニェス(イネス)を迎えたが、子はなかった。
同じ年に亡くなった人物
- リヘザ・ロタリンスカ (1063年没)
- アルベール2世 (1063年没)
- クタルミシュ・イブン・アルスラーン・イスラーイール (1063年没)
- 仁宗 (宋) (1063年没)
- Constantine Leichoudes (1063年没)
同じ地域に関係する人物
- ラミロ2世 (アラゴン王) (1157年没)
- フェリックス・デ・アサーラ (1821年没)
- ルペルシオ・レオナルド・デ・アルヘンソーラ (1613年没)
- ダビ・カニャダ (2016年没)
- Isabella of Aragon (1424年没)