HISTORICAL PERSON · 1063年没

アルベール2世

兄ロベール2世の死後からナミュール伯を務めた。1037年にバル・ル・デュクの戦いに加わり、1046年には皇帝ハインリヒ3世を支持して戦った。

生涯
1063年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

アルベール2世は、11世紀前半から中ごろにかけてのナミュール伯である。父はナミュール伯アルベール1世、母は下ロレーヌ公シャルルの娘エルメンガルドで、兄にロベール2世がいた。父アルベール1世は1011年より前に亡くなったとされ、まず兄ロベール2世が跡を継いだ。しかし兄は1018年以後の文書に現れなくなり、子のないまま没したため、アルベールがその後を継いでナミュール伯となった。兄の死の年は1018年から1031年のあいだとされるだけで正確にはわからず、アルベールが伯として文書に初めて現れるのは1031年である。

1010年から1015年のあいだに、アルベールはロレーヌ公ゴテロン1世の娘レジュリンドと結婚した。二人の間には、のちにナミュール伯を継ぐアルベール3世、デュルビュイ伯となるアンリ、そしてロレーヌ公ジェラールに嫁いだエドヴィージュが生まれた。アルベール3世の生年は1027年ごろとも1035年ごろともされ、1102年に没している。アンリは1097年にパレスチナで没したとも伝わる。

アルベール2世の事績としては、まず1037年の戦いがある。ブロワ伯でモーおよびトロワの伯でもあったウード2世は、ブルゴーニュ王ルドルフ3世の遺産を自分のものにしようとし、フランスとドイツのあいだに王国を築こうとしていた。この遺産は1032年に皇帝コンラート2世に移り、帝国に編入されていた。アルベールはバル・ル・デュクの戦いでこのウード2世と戦った。1046年には皇帝ハインリヒ3世の側に立ち、下ロレーヌ公ゴドフロワ3世やフランドル伯ボードゥアン5世との戦いに加わった。

1047年には、ナミュールのサン・トーバン教会を再建し、参事会を置いて参事会教会とした。この教会は1559年にナミュールの大聖堂となった。伝えによれば1061年には、この教会をめぐってリエージュ司教と争っている。

最後に文書に名が見えるのは1062年で、その翌年の記録は息子を指すのかもしれない。死去の状況は知られていない。没年は1063年ごろとされ、息子の治世第7年にあたる1070年の文書から割り出されたものである。なお没年を1064年や1067年とする説もある。跡は長男のアルベール3世が継いだ。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物

該当人物はまだありません。