伝記
ゴダイヴァ夫人は、990年頃に生まれ、1067年9月10日ごろに没したとされる11世紀イングランドの女性で、マーシア伯レオフリックの夫人であり、自身も後に領主となった。名前の綴りは一定せず、アングロサクソン語の名はゴドギフまたはゴドギュフで、「よき贈り物」を意味する。ゴダイヴァはそのラテン語風の綴りである。12世紀末の年代記には、ゴダイヴァという名の伯爵未亡人が1028年か29年頃に死期を悟って寺院へ土地を寄贈したとの記述があり、もし同一人物であれば、病から回復した後にレオフリックと再婚したことになる。
夫妻はともに信仰活動に熱心であった。ロジャー・オブ・ウェンドーヴァーによれば、レオフリックが自ら建てたコヴェントリーの修道院は妻の助言によるものだったという。ベネディクト会のこの修道院は1043年に設立されたが、のちの修道院解散令で廃された。1050年代にはウスターの聖メアリー修道院への土地の寄進状や、リンカンシャーのストウの聖メアリー教会の建立勅令にも、ゴダイヴァの名が夫の名と並んで記されている。さらに夫妻は、レオミンスター、チェスター、マッチウェンロック、エヴェシャムの教会の後援者としても記録される。1057年にレオフリックが死去すると、夫は自らが建てたコヴェントリーの修道院に葬られた。
ゴダイヴァは未亡人としてノルマン・コンクエストの後まで生き延びた。ウィリアム1世の検地台帳ドゥームズデイ・ブックには、征服後もわずかに残ったアングロサクソン人領主の一人として、また唯一の女性領主として記されている。ただし、調査が行われた1086年にはすでに没していたとする説もあり、没年は1066年から1086年の間とする説や、1067年9月10日を命日とする説など諸説ある。墓所も、夫の隣とする説と、今は失われたエヴェシャムの教会とする説に分かれる。
最も有名なのは、領民を重税から救うため、裸で馬に乗って町を進んだという伝説である。最古で最も簡素な典拠は、1236年に没したロジャーの年代記『歴史の花』で、夫に減税を迫った夫人が「裸で市場を馬で渡れば認める」と言われ、髪を垂らして全身を覆い、誰にも見られずに走り抜けたと伝える。1650年頃の写本のバラッドでは、町民に戸や窓を閉めて家にこもるよう命じたとされる。覗き見をした仕立屋トムの話は17世紀以降にコヴェントリーで広まったもので、トムの名はアングロサクソン名ではなく、実在の夫人の時代の領民の名としてはあり得ないと指摘される。この名が公式の文書に初めて現れるのは1773年のコヴェントリー市の年代記とされ、のちにピーピング・トムは覗き魔を指す英語の俗語となった。ゴダイヴァ夫人の行進の行事は1677年に初めて催された。「裸」の解釈にも、長い髪が体を隠していた、下着は着けていた、装身具を外した姿を指すなど諸説があり、自らの罪を懺悔するための行いだったとする説まである。中世史の歴史家は、この裸の行進が史実ではないという点で一致している。
後世、コヴェントリーの中央広場には、ウィリアム・レイド・ディック卿の騎馬像が1949年に除幕され、台座にはテニスンの詩が刻まれている。市庁舎の塔には1953年から、毎正時に白馬の夫人の人形が現れる仕掛け時計がある。ベルギーのチョコレートメーカー「ゴディバ」の名とロゴも、この伝説に由来する。
同じ年に亡くなった人物
- シャイフ・トゥースィー (1067年没)
- オットー1世 (ヴァイマル=オーラミュンデ伯) (1067年没)
- ヨハネス・コムネノス (1067年没)
- 蔡襄 (1067年没)
- Eric Stenkilsson (1067年没)
同じ地域に関係する人物
- デイビッド・ラック (1973年没)
- エドモンド・ブリスコ・フォード (1988年没)
- ベアトリス・リリー (1989年没)
- フリードリヒ・ヴァイスマン (1959年没)
- フレディ・ジョーンズ (2019年没)