伝記
イブン・ハイヤーンは、987年または988年にコルドバで生まれた、アンダルスのイスラム教徒の歴史家である。アブー・マルワーン・ハイヤーン・イブン・ハラフともいい、家名にはコルドバ出身を示すアル=クルトゥビーが付く。一族の祖先は、8世紀後半のアブド・アッラフマーン1世の治世にイスラム教へ改宗したアンダルスの住民だったとも考えられている。父は実力者アルマンソールに仕える有力な書記官であり、ハイヤーン自身もアーミル家のもとで官吏を務めた。数学と幾何学にも通じていたとされる。
コルドバの内乱の中で一家は地位を失い、ハイヤーンは苦境にあって歴史の執筆に取り組んだ。その後は宰相アブー・ムハンマド・アッラシードの援助を受け、公式の年代記編纂にも携わったとされる。1031年にコルドバのカリフ政権が崩壊すると、コルドバ共和国を治めるジャフワル家のもとで書記官となり、警察の長も務めた。政治の分裂を経験したハイヤーンは、同時代のイブン・ハズムと同じくウマイヤ朝を支持する立場を取り、その滅亡とアンダルスの中央集権的な秩序の解体を嘆いた。各地に分立したタイファ諸国の成立も、批判的に捉えていた。
著作では、アラブ人による征服から自身の時代に至るアンダルスの歴史を扱った。代表的なものに、十巻からなる『アル=ムクタビス』と、六十巻ともされる『アル=マティーン』がある。そのほか、コルドバの法学者を扱う著作や、アーミル家の政権についての百巻の著作、十巻の『アル=バトシャ・アル=クブラー』などもハイヤーンの作とされる。ヴァイキングの襲来について早い時期に記した歴史家でもあり、その襲撃者たちをマジュースと呼んだ。
ハイヤーンの歴史書は全体が残っているわけではなく、一部のみが伝わっている。その中にはアーミル家末期の情勢、コルドバの反乱、カリフ政権の終焉とタイファ諸国の始まりに関する記述が含まれる。これらはアンダルスの政治、とりわけコルドバと各地の支配者の歴史を調べるうえで用いられてきた。ハイヤーンはコルドバで死去し、同地のラバル墓地に葬られた。没年には1075年と1076年の二つの説がある。
同じ年に亡くなった人物
- ユースフ・ハーッス・ハージブ (1076年(推定))
- ラモン・バランゲー1世 (1076年没)
- ロベール1世 (ブルゴーニュ公) (1076年没)
- ベアトリクス・フォン・ロートリンゲン (1076年没)
- エルマンガルド=ブランシュ・ダンジュー (1076年没)
同じ地域に関係する人物
- ハサン2世 (985年没)
- アブド・アッラー (後ウマイヤ朝) (912年没)
- Juan Bautista Rico (1613年没)
- ペドロ・アントニオ・デ・セバーヨス (1778年没)
- ザルカーリー (1087年没)