伝記
エルベール4世は、11世紀のヴェルマンドワ伯である。生年は1028年とも1032年ごろともされる。父はヴェルマンドワ伯オトン、母はパヴィアで、父方の祖父はエルベール3世にあたる。母の出自は明らかでない。カロリング家の男系に属し、この系統がヴェルマンドワを支配した末期の伯であった。1045年5月25日に父が死去すると、長男としてその地位を継いだ。フランス王フィリップ1世の、1059年の戴冠に際してもその名が知られている。
妻にはアデライード・ド・ヴァロワを迎えた。婚姻の時期は1059年ごろともされる。妻の父はヴェクサン、ヴァロワ、アミアンなどの伯であったラウル4世、母はバール=シュル=オーブのアデルである。夫妻の子には、娘アデライード、息子ウードがおり、ジェラールという子もいたとされる。娘は1062年ごろ、ウードは1064年ごろに生まれたといわれるが、ウードの生年を1060年ごろとする説もある。
妻の実家の領地をめぐっては、1075年からフランス王フィリップ1世と、妻の兄弟シモンとの間に争いが起きた。この争いが続く1076年、エルベールはサン=プリの教会へ寄進を行った。王による領地の取り上げに対し、シモンは二年間抵抗したが、ヴェクサンを失って和平を求め、1077年に修道生活へ入った。これに伴い、ヴァロワ伯領は姉妹のアデライードと夫エルベールへ移った。エルベールは妻の権利によってヴァロワを治め、ヴェルマンドワと合わせて伯領を持つことになった。
エルベールは1080年ごろに死去した。息子ウードには精神の病があったとされ、父から相続権を取り上げられたとも、伯の地位を継いだ後に退けられたともいわれる。結果として娘アデライードが相続人となり、その夫ユーグ1世がヴェルマンドワとヴァロワの伯となった。ユーグはフランス王アンリ1世とアンナの息子で、フィリップ1世の弟にあたる。この婚姻によって、エルベールの領地はカペー家の出身者へ渡った。ウードはアドヴィージュとの結婚によってサン=シモンの領主となり、1085年以後まで生きたとされる。娘はユーグの死後、1103年にクレルモン伯ルノー2世と再婚した。
同じ年に亡くなった人物
- カトラーン・タブリーズィー (1080年(推定))
- イースレイヴ・ギツラルソン (1080年没)
- アーダルベルト2世 (バレンシュテット伯) (1080年)
- ルドルフ・フォン・ラインフェルデン (1080年没)
- ブレーメンのアダム (1080年代没)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。