HISTORICAL PERSON · 紀元前231年没

プトレマイオス (エピロス王)

エピロス王(在位紀元前238〜231年)。アレクサンドロス2世とオリュンピアス2世の次男で、兄ピュロス2世の死後に王位を継いだ。病死とも裏切りによる殺害とも伝わり、姪が王位を継いだ。

生涯
紀元前231年没
死亡地
—
出生地
アルバニア共和国(イピロス / エピルス)
出典
世界地図
アルバニア共和国(イピロス)

伝記

プトレマイオスは、紀元前3世紀のエピロス王である。在位は紀元前238年から紀元前231年とされるが、研究や記述によって年代に幅があり、紀元前237年から紀元前234年、紀元前234年から紀元前230年とする説もある。治世を確定することはできず、マケドニア王デメトリオス2世と同時代の人物であることから、紀元前239年から紀元前229年のあいだに置かれるともいわれる。

エピロス王アレクサンドロス2世と、その異母姉妹にあたるオリュンピアス2世の次男で、名高いピュロスの孫、兄はピュロス2世である。名は、亡くなった叔父のプトレマイオスにちなんで付けられたという。姉妹にフティアがおり、マケドニア王デメトリオス2世の妻となったため、プトレマイオスはデメトリオスの義弟にあたる。

父の死後、兄弟はまだ幼かったため、母オリュンピアス2世が摂政として国を治め、二人の後見に当たった。紀元前255年ごろに父が没したとする記述があり、母の摂政は紀元前240年ごろまで続いたとされる。兄弟が成人すると母は王国を譲り、まずピュロス2世が王位に就いた。しかしピュロス2世は若くして亡くなり、プトレマイオスがその跡を継いだ。ただ、その治世は短かった。

死因については伝えが分かれる。ローマの歴史家ユスティヌスによれば、プトレマイオスは軍勢を率いて遠征に出ている途中、病に倒れて没した。遠征の相手は、直前の記述からアカルナニア人だったとも、アイトリア人だったともいわれ、病に倒れた場所はアンブラキアだったとする記述もある。一方、ポリュアイノスは、裏切りによって殺されたと記している。その死がエピロス人による王家への蜂起と関わっていた可能性も指摘される。

プトレマイオスには妻も子もなかったとされ、アイアコス家の男系の最後の人物となった。王位は、兄ピュロス2世の娘である姪のデイダメイア2世が継いだとされ、ピュロス3世が継いだとする伝えもある。デイダメイアは、叔父の死への報復としてアンブラキアを奪ったとも伝えられる。母オリュンピアス2世は二人の息子を失った悲しみのなかで、まもなく世を去ったという。アイアコス家の最後の継承者となったのは、プトレマイオスの姉妹フティアと、兄の二人の娘ネレイスおよびデイダメイアだけであった。

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