伝記
デイダメイア2世は、古代ギリシアのエピロスの女王で、アイアコス王朝の最後の統治者である。ラオダミアとも呼ばれ、ラオダミアの名はユスティヌスに、デイダメイアの名はポリュアイノスとパウサニアスによるとされる。エピロス王ピュロス2世の娘で、没年は紀元前233年ごろとも紀元前231年ともいわれる。在位は紀元前235年から紀元前233年ないし231年、あるいは紀元前234年から紀元前233年とされる。
祖父母にあたるのは、アレクサンドロス2世とオリュンピアス2世である。夫妻にはピュロス、プトレマイオス、フティアの三人の子があった。アレクサンドロスの死後、オリュンピアスは子らの後見に立ち、エピロスと同盟を結んだアカルナニアにアイトリア人が圧力をかける情勢のなか、マケドニア王デメトリオス2世との同盟を求めた。やがてピュロス2世が没すると、プトレマイオスが王位を継いだが、彼は軍を率いる途中で病没し、オリュンピアスも二人の息子を失った悲しみのうちにまもなく世を去った。こうして王家の生き残りは、ピュロス2世の娘であるデイダメイアと、その姉妹ネレイスのみとなった。ネレイスはシラクサ王ヒエロン2世の子ゲロンに嫁いでいた。
デイダメイアは、プトレマイオスの死の報復としてアンブラキアを攻め取ったとされる。エピロスで反乱が起きると、ネレイスがガリアの傭兵800人を送り、モロッソイ人の一部も彼女を支持した。彼女はこの傭兵の助けで、わずかな労でアンブラキアを手に入れたという。エピロス人が和平を乞うと、彼女は自らの世襲の権利と先祖への敬意を認めることを条件に、これを受け入れた。
しかしエピロス人の一部は陰謀をめぐらし、アレクサンドロスの護衛のひとりネストルを買収して彼女を殺させようとした。ネストルは彼女の王者としての威厳にたじろぎ、果たさずに引き返した。その後、民衆はむしろ王室全体を廃して自由を確保することを決め、彼女を殺すことにしたという。彼女はアルテミス・ヘゲモネの神殿に逃れたが、祭壇のある聖域のなかで、ミロンという男に殺された。ミロンはすでに母フィロテラを殺した罪を負っており、デイダメイアは殺される際に、母殺しの彼が殺人に殺人を重ねているとなじったと伝えられる。ミロンは十二日後に自ら命を絶った。事件の正確な時期は分からないが、デメトリオス2世の治世(紀元前239年から紀元前229年)の早い時期とされる。
彼女の死によってエピロスの君主制は終わった。ユスティヌスによれば、神々はこの殺害のためにエピロスに旱魃、飢饉、内乱、戦争などの災厄を重ね、民はほとんど滅びかけたという。パウサニアスは、エピロス人が王を捨てたのちは統制を失い、官吏の言葉にも耳を貸さず、北のイオニア海沿岸に住むイリュリア人に荒らされたと述べている。
同じ年に亡くなった人物
同じ地域に関係する人物
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- トマ・プレリュボヴィチ (1384年没)
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- アレクサンドロス2世 (エピロス王) (紀元前255年没)
- エピクテトス (135年没)