伝記
サラフスィーは、スンナ派イスラームのハナフィー学派に属した法学者である。アブー・バクル・ムハンマド・イブン・アフマド・イブン・アビー・サフル・アルアンサーリーともいい、シャムス・アルアインマの尊称で知られる。生地は大ホラーサーン地方のサラフスで、現在のイランとトルクメニスタンの国境に位置する町である。若いころの詳しい足取りは明らかではないが、ハナフィー派の法学者アブドゥルアズィーズ・アルハルワーニーに学んだ。師は1056年に没した人物で、バズダウィーもその教えを受けている。サラフスィーは、学派に伝わる法判断を踏まえながら、多様な問題について自らの議論を展開した。
その生涯には、君主の婚姻に関する見解を述べたため投獄されたという出来事がある。君主が奴隷身分の女性と結んだ婚姻について、その有効性を疑問視し、批判したことが理由とされる。獄中で過ごした期間はおよそ15年に及んだ。この拘禁中に『マブスート』をはじめとする主要な著作を著した。書物を手元で参照しにくい境遇でも、多数の文章を記憶から思い起こしたとされ、その記憶力と知性が知られている。『マブスート』は、ムハンマド・アルマルワズィーによる摘要への注釈である。その摘要は、学派の祖アブー・ハニーファの弟子であるムハンマド・アッシャイバーニーの基礎的な著作をまとめたものであった。サラフスィーはそこに含まれる概念を練り直し、学者間で判断の分かれる論点を軸に議論を組み立てた。
著作の中では、自派の伝承に加えて他の法学派の見解も扱った。『マブスート』の対象は、法学上の選好、不法に手に入れた物品を用いる行為の適法性、喜捨税、土地の開墾などに及ぶ。法学上の選好については、体系的な推論が導く判断を、より強い根拠に支えられ、人々の便宜にもかなう別の判断へ置き換えるものとして説明した。これは推論そのものを否定する立場ではなかった。また、物品の取得方法が違法であっても、その物品を用いた行為まで必ず違法になるとは限らないと論じた。喜捨税をめぐっては、徴収者に対し本人が課税対象ではないと否認し、誓った場合の扱いを検討している。そこでは、喜捨税は神に対する礼拝上の義務であり、その責任を負う本人の言葉を受け入れるという説明を与えた。
もう一つの主著『ウスール・アルフィクフ』では、法の原理や体系的な推論、法学上の選好を論じ、カルヒー、シャーシー、ジャッサース、シャーフィイーらの学説を取り入れた。『大シヤル注解』も主要な著作に数えられる。死去は1090年とも1096年ともいわれる。後のカーサーニーやマルギーナーニーは、法学書を著すにあたり、その議論と法的推論を広く用いた。15世紀の法学者タラーブルスィーは、『マブスート』と先人の学説を記憶する者は自ら法解釈を行う資格を得るという趣旨の言葉で、この書を評価した。同書は19世紀に至るまで、法の原理から導かれる個別の規定を扱う重要な書であった。19世紀のインドの学者アブドゥルハイイ・アルラクナウィーは、サラフスィーをタハーウィーらとともに、アブー・ハニーファの弟子たちに続く法解釈者の階層に位置づけている。
同じ年に亡くなった人物
- ヴェルナー1世 (1096年没)
- ヴィターレ・ファリエル (1096年(推定))
- エウドキア・マクレンボリティサ (1096年没)
- ハインリヒ3世 (ルクセンブルク伯) (1096年没)
- ジョフロワ3世 (アンジュー伯) (1096年没)
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