伝記
アフマド・ガザーリーは、ペルシアの神秘主義者(スーフィー)で、説教者でもあった。神学者・法学者・神秘主義者として知られるアブー・ハーミド・ガザーリーの弟にあたる。1061年ごろ、ホラーサーン地方のトゥースに近い村に生まれたとされる。幼いころに父を亡くし、兄とともに父の友人であるスーフィーに養われた。郷里では主に法学を学んだが、まだ若いうちにスーフィズムへ向かい、初めはアブー・バクル・ナッサージュ・トゥースィーに、のちにアブー・アリー・ファルマディーに師事した。
スーフィズムの研究に打ち込んだアフマドは、30歳になる前に、高位のスーフィーに与えられるクトゥブの尊称にふさわしいと認められた。1095年に兄のアブー・ハーミドが遍歴の旅に出ることになり、後事をアフマドに託した。アフマドは兄に代わって、バグダードのニザーミーヤ学院で教授を務め、責任を引き受けた。のちにはスーフィーの師として、また民衆に説く説教者として各地を巡り、ニーシャープール、マラーゲ、ハマダーン、エスファハーンを訪れた。弟子にはアイヌルクダート、シャイフ・アディー・イブン・ムサーフィル、アブー・ナジーブ・スフラワルディーらがおり、スフラワルディーはスフラワルディーヤ教団の創始者である。バグダードで行った公開の説教は弟子の1人が記録し、もとは83回だったが、現存が知られるのは20回ほどである。
1114年ごろには、77の短い章からなる小さな書『霊的現象』を著した。当時のペルシア語のスーフィーの著者は散文だけを用いていたが、アフマドは、散文の部分で理論的に述べた主題を、比喩によって示すために詩を取り入れた。ほかに、鳥と旅の比喩で神へ至る精神の道を語った『鳥の書』、イスラームの基本の証言を神学と神秘主義の面から解釈し、アシュアリー派の神学に立つことを示す書、最も名高い弟子アイヌルクダートの手紙に答えたペルシア語の論考、そのアイヌルクダートらにあてたとされる書簡集などがある。ほかにも彼の名で伝わる書があるが、研究者は、誤って帰せられた書や真偽の疑わしい書とみている。
アフマドの思想の中心は愛であった。神の本質を愛とし、先人のうちでは処刑されたハッラージュの影響を最も強く受けた。被造物の美はすべて神の美の流出だと考え、神は絶対の美であり、あらゆる美しいものの愛する者でもあるから、美しいものを慕うことは神の愛の行いに加わることだと説いた。美しい若者の顔を見つめる行いで、悪名も得た。神との合一については、愛する者である人間が愛そのものである神のもとへ帰ることだと述べ、鳥たちが困難を越えて鳥の王を探す旅にたとえた。アフマドは哲学の教育を受けていないと考えられ、兄とは逆に、スーフィズムの分野で形而上学を築こうとした。
没したのはカズヴィーンで、1123年とも1126年ともいわれ、その地に葬られた。のちに弟子のアイヌルクダートは、アフマドの思想にもとづく独自の意見を主張して、そのいくつかが神を冒涜するものとされ、処刑された。それでも時代が進むにつれ、アフマドらの神の愛の思想は受け入れられていった。ペルシアの神秘主義の文学、とくに愛をたたえる詩に深い跡を残し、のちの詩人アッタール、サアディー、イラーキー、ハーフェズらの用いた主題の多くが、アフマドの著作にさかのぼるといわれる。『鳥の書』は、アッタールの『鳥の言葉』の先例となった。
同じ年に亡くなった人物
- エランブルジュ (メーヌ女伯) (1126年没)
- オフリドのフェオフィラクト (1126年)
- ユーグ (シャンパーニュ伯) (1126年没)
- スヴァタヴァ・ポルスカー (1126年没)
- コンスタンス・ド・フランス (1078-1126) (1126年没)
同じ地域に関係する人物
- タフマースブ1世 (1576年没)
- イスマーイール2世 (1577年没)
- ムハンマド・ホダーバンデ (1595年没)
- ロバート・シャーリー (1628年没)
- ハサン・サッバーフ (1124年没)