伝記
ユースフ・ハマダーニーは、中世ペルシアのスーフィーである。中央アジアのスーフィーの師たちの一群、ホージャガーンの最初の人とされ、のちのナクシュバンディー教団につながる系譜の起点に位置する。1048年か1049年に、ハマダーン近郊のブザンジルド村で生まれた。靴をつくることと農業で暮らしを立てたと伝えられる。一部の伝記作者は、その家系をハナフィー法学派の祖アブー・ハニーファにさかのぼらせている。
故郷で基礎教育を受けたのち、18歳から20歳ごろにバグダードへ出た。ハディースの学者らに学び、目当ては、ニザーミーヤ学院の学院長で、シャーフィイー派の高名な法学者アブー・イスハーク・シーラーズィーのもとで法学を学ぶことだったといわれる。アブー・イスハークは、最年少であったユースフに、ほかのどの弟子よりも敬意を払った。ただ、ユースフは師たちと違い、ハナフィー派でマートゥリーディー派の立場にあった。イブン・ハッリカーンによれば、初めは宗教諸学を修め、ハディースと法学の尊敬される学者となり、バグダードで人気のある説教者でもあった。法学者としてあまりに優れ、この分野の学者すべての拠りどころとされた。名はバグダードのほか、エスファハーン、ブハラ、サマルカンド、ホラズム、中央アジア全域に知られた。
のちにユースフはこうした営みを捨て、きびしい禁欲の生活に入って東へ向かい、まずヘラートに、のちにメルヴに住みついた。絶えず礼拝と精神の修行に励み、師アブー・アリー・ファルマディーの教えを受けた。アブドゥッラー・ジュヴァイニーやハサン・シムナーニーとも交わった。若いころの旅の途中で、高名な学者でスーフィーのアブドゥル・カーディル・ジーラーニーに出会い、スーフィズムの道をすすめられたとも伝えられる。弟子のなかから4人を後継者に指名し、そのなかにはアフマド・ヤサヴィーと、ナクシュバンディー教団の系譜で次に連なるアブドゥル・ハーリク・ギジュドゥワーニーがいた。1140年に亡くなり、墓はメルヴの近く、いまのトルクメニスタンにある。巡礼の重要な場所とされている。
ギジュドゥワーニーは、ユースフの言行を記した書を著し、その人となりをこう伝えている。ユースフは人から少しの恩を受けても倍にして返し、人をもてなすための物をいつも携えて、訪れる者に分け与えた。年長者の前では口をきかず、他人の畑を踏み越えず、礼拝を無用に長くしなかった。自分のことは自分でし、粉挽き場へも自ら出かけた。旅を多くし、任意の礼拝も欠かさず、いつも殉教を願った。喜捨を重んじ、神を深く畏れて震えながらも、神の慈悲への望みを失わなかった。心から愛し、愛された人だったという。
ヤサヴィーは、トルキスタンの導師とされ、ヤサヴィー教団の創始者となる。ブハラで一時、ユースフの後を継いで活動し、務めをギジュドゥワーニーに譲ってイェシに戻り、1166年に今のカザフスタンのサイラムで亡くなった。ギジュドゥワーニーはホージャガーンの教えを広め、その系譜はバハーウッディーン・ナクシュバンドに受け継がれた。ホージャガーン、すなわち師たちという敬称の起源は、しばしばユースフに求められる。
同じ年に亡くなった人物
- ルートヴィヒ1世 (テューリンゲン方伯) (1140年没)
- ペトルス・アルフォンシ (1140年)
- レヴォン1世 (1140年)
- グレゴリウス8世 (対立教皇) (1140年没)
- ソビェスラフ1世 (1140年)
同じ地域に関係する人物
- アフマド・サンジャル (1157年没)
- ホスロー3世 (629年没)
- イブン・フルダーズベ (912年没)
- アブー・サイード・ビン・アビー・ル・ハイル (1049年没)
- ヤズデギルド3世 (651年没)