伝記
イブン・フルダーズベ(イブン・フルダーズビフとも)は、アッバース朝で活躍したペルシャ系の地理学者・官僚である。全名はアブル=カースィム・ウバイドゥッラーフ・イブン・アブドゥッラーフ・イブン・フルダーズビフという。生年は820年ごろとも825年ともされ、没年は912年とも913年ともいわれる。アラビア語で書かれた現存最古の地誌『諸道と諸国の書』を著したことで知られる。
父アブドゥッラーフは、カリフ・マアムーンのもとで北イランのタバリスターンを治め、816年から817年にかけて隣のダイラムを征服し、バーヴァンド朝の君主シャフリヤール1世を同地の高地から退けた人物である。祖父フルダーズベはもとゾロアスター教徒で、バルマク家に説得されてイスラムに改宗したという。このフルダーズベは、アラブ征服の際のササン朝最後の皇帝ヤズデギルド3世の逃走について、歴史家アブル=ハサン・アル=マダーイニーに詳細を伝えたフルダーズベ・アル=ラーズィーと同一人物かもしれないとされる。イブン・フルダーズベは東部のホラーサーン州で生まれたともいうが、イラン北部のペルシャ人の裕福な家に生まれたとも伝えられ、育ったのはバグダードであった。そこで教養ある教育を受け、父の友人でもあった著名な歌手イスハーク・アル=マウスィリーに音楽を学んだ。成人すると、カリフ・ムウタミドのもとで、イラン北西部ジバール州の駅逓長官に任じられた。のちにはサーマッラーとバグダードの駅逓長官も務めた。重要な地域の駅逓をつかさどるとともに、カリフのための個人的な情報収集にもあたったとされる。
『諸道と諸国の書』は846年から847年ごろ、あるいは870年ごろに書かれたともいわれ、885年に第二版が出された。アッバース朝統治下の諸地域の人々の様子を述べるほか、ブラマプトラ川、アンダマン諸島、マレー半島、ジャワといった南アジアの海岸地域の土地や人々、文化の描写と地図を含む。中国(唐)についての記述に関連して、その東方にある黄金に富んだ島国として「シーラ」と「ワークワーク」にも触れており、前者は統一新羅、後者は日本(倭国)を指すと考えられている。ワークワークは、アラブ世界で東の果ての土地として伝説化していくが、その名を記す現存最古の記録がこの書である。イブン・フルダーズベはこの名を二度挙げ、住民が犬をつなぐ鎖や猿の首輪を金で作り、金糸でチュニックを織り、すぐれた黒檀を産し、「黄金と黒檀はこの地から輸出される」と記した。ルーシの商人についても、ビーバーや黒狐の毛皮と剣をスラヴ人の地からギリシャ海へ運び、ビザンツの支配者が十分の一税を課すと述べている。ユダヤ人巡回商人の活動を記した数少ない現存史料の一つでもある。
この書はプトレマイオスら古代ギリシャの著作の強い影響を受けず、ペルシャの行政用語を多用し、ペルシャ人古来の世界観でイスラム化以前のペルシャ史を叙述している。中心部分にペルシャ語の文献が用いられたことを反映するという。
著作は8冊ないし9冊に及び、イブン・アン=ナディームの『フィフリスト』は、音楽聴聞の作法、ペルシャ人の家系、料理、飲料、星々の上昇と入没を扱った『アンワーの書』、友と仲間たち、音楽と楽器を扱った『娯楽と玩具の書』などを挙げる。『娯楽と玩具の書』はイスラム化以前のペルシャの音楽を記す。マスウーディーらは『歴史における大いなる書』という歴史書にも言及し、マスウーディーはその内容を賞讃して引用したが、この書は失われ、抄録でしか残らない。
同じ年に亡くなった人物
- クスター・イブン・ルーカー (912年)
- オットー1世 (ザクセン公) (912年没)
- 朱全忠 (912年没)
- イブン・ルスタ (912年)
- ノトケル・バルブルス (912年)
同じ地域に関係する人物
- アブー・サイード・ビン・アビー・ル・ハイル (1049年没)
- ムカンナア (783年没)
- ユースフ・ハマダーニー (1140年没)
- ホスロー3世 (629年没)
- ヤズデギルド3世 (651年没)