伝記
ジェフリー・オブ・モンマスは、中世イングランドのキリスト教聖職者であり、歴史家である。アーサー王伝説の語り手の一人として知られ、生年は1090年から1100年ごろとも、1100年から1110年の間ともいわれ、没年は1155年ごろである。著作はすべてラテン語で書かれ、そのほとんどは歴史を題材にしたロマンチックな創作とされる。
生地は不明で、ウェールズかその境界地方で生まれたと考えられている。代表作『ブリタニア列王史』の中で、ウェールズのモンマスシャー州のカーリアンにたびたび触れ、自らを「モンマスのジェフリー」と名乗ったことから、モンマスと何らかの縁があったとみられる。ただしウェールズ語の知識はほとんどなく、ウェールズ人やウェールズ在住のノルマン人の子孫だった証拠は見つかっていない。ウェールズ境界地方のフランス語を話す上層階級の出だとする見方や、ノルマン征服とともに渡来して南ウェールズに定住したブルターニュ出身者の子孫とする学説もあり、民族的な出自は研究者の間でも大きく議論されてきた。
1129年には成人し、文書に立会人として名が見える。1129年から1151年の間、オックスフォード周辺の6通の特許状に署名しており、その全てにオックスフォード助祭長ウォルターの署名が並ぶことから、オックスフォード城内のセント・ジョージ・カレッジの律修司祭を務めたと考えられている。1152年には、カンタベリー大司教テオバルドがウェストミンスターで彼を司祭に叙し、その10日後の2月24日にランベスでセント・アサフ司教に叙階した。彼が司教区を訪れた証拠はなく、当時のオウェイン・グウィネズの戦いを考えると、訪れた可能性は低いとされる。
最初の作品は『マーリンの預言』で、1135年以前に書き始められたとされる。マーリンはウェールズ伝説の賢者ミルディンがモデルといわれるが、当時のジェフリーは伝説をさほど知らなかったとみられる。ウェールズ語以外で初めて描かれた預言者マーリンの物語は、広く知られ、信じられた。
最も有名な『ブリタニア列王史』は、ウォルターから贈られた「ブリテン語の古書」の翻訳だと彼自身は主張したが、今日の歴史家はこの主張を退けている。ただ、助祭長がウェールズ語の材料を提供した可能性はあるとされる。物語は、トロイのブルータスによる最初の移住に始まり、レイア王、クノベリヌス王、ユリウス・カエサルのブリタンニア侵攻、5世紀後半のアーサー王の伝説、7世紀のカドワラダルの死に及ぶ。内容の多くは、9世紀の『ブリトン人の歴史』、ベーダの『英国民教会史』、ギルダスの著作、口承や系図に、彼自身の想像を加えたものと考えられる。12世紀のウィリアム・オブ・ニューバーグは、アーサーやその後継者、さらにヴォーティガーン以降の人物についての記述は、一部は本人、一部は他の者の創作だと看破していた。それでも本書は後世の歴史書に事実として頻繁に引用され、ロベール・ド・トリニーがヘンリー・オブ・ハンティンドンに写本を贈り、二人とも自らの著作で史実として用いたことで、ジェフリーの創作が通史に入り込んだ。アーサー王の物語は、彼の影響を受けたか否かで、ジェフリー以前と以後に分けられるほどである。
詩『マーリンの生涯』では、より伝承に近い姿のマーリンが、見捨てられて悲嘆に狂った「森のマーリン」として描かれる。この詩が彼の作だという記述は13世紀の一書に見られるのみだが、構成や内容から彼の作品とほぼ断定されている。
同じ年に亡くなった人物
- ハインリヒ=ベレンガル (1150年没)
- ヨハンネス・グラティアヌス (1150年没)
- マルカブリュ (1150年(推定))
- ゲルトルート・フォン・バーベンベルク (ボヘミア公妃) (1150年)
- アーヘンのアルベルト (1150年(推定))
同じ地域に関係する人物
- アイリーン・スティア (1977年没)
- ロベール2世 (ノルマンディー公) (1134年没)
- R・S・トーマス (2000年没)
- ピーター・ウィッティンガム (2020年没)
- ジーン・ピットニー (2006年没)