伝記
ムハンマド・アル=イドリースィーは、中世に活躍したアラブ人の地理学者・地図学者である。生年は1099年または1100年ごろ、没年は1165年、1166年、あるいは1180年とする説があり、正確な生没年は分かっていない。史上初めて正確な世界地図を作った人物ともいわれ、イスラム世界を代表する地理学者の一人に数えられる。イドリーシー、エドリーシーなどとも表記される。
ムラービト朝の支配下にあった北アフリカのセウタで生まれたとされる。名の由来が示すとおり、マグリブの地方政権イドリース朝の末裔の一人で、預言者ムハンマドの子孫にあたるため、アル=シャリーフ・アル=イドリースィーとも呼ばれた。一族は、ハンムード朝が滅んだ後、曽祖父の代にセウタへ移り住んだと伝えられる。若い頃はコルドバで学び、アンダルスや北アフリカの各地を旅して、両地域について詳しい知識を得たらしい。十六歳になる前後にアナトリアを訪れたともされ、旅はポルトガル、ピレネー山脈、フランスの大西洋岸、ハンガリー、ヨークにまで及んだと伝えられる。
その後、アンダルスの争乱や不安定な情勢を背景に、ノルマン人が支配するシチリアへ渡り、ルッジェーロ2世の宮廷に招かれた。彼はイスラム教徒の商人や探検家が集めたアフリカ、インド洋、極東の知識と、ノルマン人の航海者がもたらした情報を突き合わせ、これを一つにまとめた。1154年に完成した世界地図は、宮廷で十八年にわたって作った図解と解説の集大成だった。アジア、アフリカ、ヨーロッパを網羅し、古い時代の世界地図の中でも最も進んだものの一つとされる。地球を赤道から北緯23度までを第一区として七つの区域に分け、北緯54度から63度までの第七区は寒冷と降雪のため居住に適さないと定めた。ルッジェーロ2世のために400キログラムの純銀を用いた地球図を作ったとも言われる。
この地図の解説書が『ルッジェーロの書』で、正式な題は『世界横断を望む者の慰みの書』という。自身が踏破し調査した地域を七十枚以上の地図上に説明し、当時の地政学や社会に関する知見も加えている。序文では、地理座標の典拠としてプトレマイオスと一人の天文学者を挙げ、諸方面からの聞き取りを突き合わせて座標が一致するか確かめたと述べている。また1161年には、薬の原料となる草木や鉱物の産地を列挙した書を著したが、写しを含めてすべて失われた。彼はまた、大地が球形であると固く信じていた。中国との交易にも触れ、革や刀剣、鉄、絹を運ぶ船のことや、杭州のガラス製品、泉州の絹を最上とする評価を記している。
イドリースィー個人の事績は、キリスト教徒側にもイスラム教徒側にもほとんど伝わっておらず、ルッジェーロ2世の死後に息子グリエルモ1世に仕えたかどうかも諸説がある。死地は生地でもあるセウタだと言われる。地図には資料不足のため他の出典で補った箇所もあり、ポーランドに当たる地域の記述は、現在のチェコに相当する地の資料と混同したものと推測されている。作品はイスラム世界で長く引用された一方、ヨーロッパでは活用されず、ローマで縮小版が出たのは1592年、パリでラテン語訳が出たのは1619年だった。それでもルネサンス期の探検家らに一定の影響を与えたと考えられている。その名は、冥王星系の地形アル=イドリースィー山地や、米国の大学が開発した地理情報システムのソフトウェアにも残る。
同じ年に亡くなった人物
- アルキポエタ (1165年)
- シビーユ・ダンジュー (1165年没)
- Abu'l-Barakat al-Baghdadi (1165年没)
- 二条天皇 (1165年没)
- イシュトヴァーン4世 (ハンガリー王) (1165年没)
同じ地域に関係する人物
- ピエトロ2世 (シチリア王) (1342年没)
- エウフェミオス (830年没)
- パウサニアス (地理学者) (180年代没)