HISTORICAL PERSON · 1170年没

クトブッディーン・マウドゥード

ザンギー朝モースルのアタベク。兄サイフッディーンの跡を継ぎ、ジャズィーラ及びディヤール・バクル地方を治めた。

生涯
1170年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

クトブッディーン・マウドゥードは、モースルのザンギー朝のアタベク、アミールで、1149年から没年まで、モースルを治めた。没したのは1170年9月6日である(在位を1169年までとする記述もある)。モースルにおけるザンギー朝の始祖とされる。ザンギー朝の祖イマードゥッディーン・ザンギーの息子で、サイフッディーン・ガーズィーやヌールッディーンの兄弟にあたる。

ザンギーが没したとき、その領地は息子たちの間で分けられ、ヌールッディーンはアレッポを、サイフッディーン・ガーズィーはモースルを、クトブッディーン・マウドゥードはホムスのアミール領を受け取った。1149年にサイフッディーン・ガーズィーが没すると、マウドゥードは真っ先にモースルに着き、アミールと認めさせた。モースルを手に入れたかったヌールッディーンは、タッル・アファルとシンジャールを占領し、兄弟のマウドゥードを攻めようとした。しかし、アレッポ軍の古参兵たちが、兄弟どうしが争えば、十字軍やダマスカスのアミール国に対する戦いが弱まるとして、これに加わることを拒んだ。このため、ヌールッディーンは遠征を断念し、兄弟と和解した。

1157年、マウドゥードは、ハマダーンのセルジューク朝のスルタン、ムハンマドの軍とともに、バグダード包囲に加わった。これはセルジューク朝がアッバース朝からバグダードを奪おうとした最後の試みだったが、カリフのアル・ムクタフィーが首都を守り抜いた。マウドゥードはモースルを治めている間、セルジューク朝の王子スライマーン・シャーを、1160年まで捕らえていた。

1164年、ヌールッディーンの将軍シール・クーフは、エジプトの支配をめぐって、エルサレム王アマルリック1世と戦っていた。形勢が悪くなると、ヌールッディーンは、キリスト教勢力の注意をそらすため、アンティオキア公国に遠征した。マルディンとディヤルバクルのアルトゥク朝のアミールたちとともに、マウドゥードもこの攻撃に加わり、遠征は成功してハリムとバニアスが奪われ、アマルリックはエジプトから引き返さざるをえなくなった。同じ理由で、マウドゥードは1167年にも、トリポリ伯国で兄弟を助けた。1168年の初め、ハサンケイフのアルトゥク朝のアミール、カラ・アルスラーンが没し、マウドゥードはその町を手に入れようとしたが、死者の後継者たちを守ると約束していたヌールッディーンに押し返された。

マウドゥードは1170年9月に没し、長男イマードゥッディーン・ザンギーを差し置いて、次男サイフッディーン・ガーズィー2世を後継者に指名した。父ザンギーの部下だったザイヌッディーン・アリー・クチュクが、副官として仕え、ヌールッディーンにも忠実な将軍であった。子には、アレッポのアミールからシンジャールのアミールとなったイマードゥッディーン・ザンギー(1197年没)、モースルのアミールとなったサイフッディーン・ガーズィー(1180年没)とイッズッディーン・マスウード(1193年没)がいる。

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