伝記
シュフダ・カーティバは、11世紀末から12世紀のバグダードに生きた女性の書家であり、ハディース学者(ムハッディサ)である。ウンム・ムハンマド・シュフダ・ビント・アビー・ナスルといい、ファフルン・ニサー(女性の誉れ)という尊号と、カーティバ(女性の書家)という呼び名で知られる。生年は1080年代か1090年代とされ、バグダードで生まれた。父アブー・ナスル・アフマド・ビン・ファラジュは、ディーナワルを出自とする有力な家の出で、1112年に亡くなった。父方の曾祖父は針(イブラ)の職名をもつことから、イブリーという名も伝わる。
父はハディースに熱心で、娘にも学問をしっかり身につけさせ、評判の高い多くの伝承学者に学ばせた。シュフダは、当代随一の学者たちに教えを受け、バグダードの名高い師たちからハディースを学んだ。ハディースの集成『ムワッタア』をすべて学び、ほかにも師たちの伝承を集めたもの、ある人物の伝承や一つの主題をめぐって集められた部分、特別な由来をもつ連鎖の伝承などを修めた。彼女は、膨大な数のハディースを、美しい筆跡で書に著した。その信頼性は高く、ハディースの伝承経路(イスナード)の中で、シュフダ・ビントル・イバリーの名をもつものは、信頼性の高いものとされる。
父は、自分にハディースを学びに来ていたドゥライニー(1082年または1083年から1154年)に、娘のシュフダを嫁がせた。ドゥライニーは、カリフのムクタフィーの寵愛を受け、ティグリス川に臨む堤防の上に、シャーフィイー学派のマドラサを建て、その隣にスーフィーの道場も建てた。父がドゥライニーとシュフダを結婚させたとき、ムクタフィーのドゥライニーへの寵愛は絶頂にあった。ドゥライニーは1154年10月に亡くなり、バグダードの中央モスクの向かいにあった邸宅の庭に葬られた。四半世紀ののち、シュフダが亡くなったとき、彼の墓は、アブラズ門の外の墓地に葬られる妻の隣に移された。
シュフダは、長い生涯を通じて、多くの弟子たちにハディースを伝えた。学びを求める人々は遠くからも訪れ、シュフダの講義に加われることを誇りとした。歴史、言語学、文学についての学術的な講義も行った。弟子の一人は、シュフダの伝承をまとめたものを、本人の存命中に編んだ。この集成は、114の伝承からなり、その多くは、27人の師から得た預言者のハディースである。ハンバル法学派の学者の一人もシュフダの弟子で、のちに女性の教育を重んじた。書家としては、10世紀のイブン・バウワーブと、13世紀のヤークート・ムスタアスィミーをつなぐ人物とされる。三者はいずれもバグダードで活躍し、イブン・バウワーブの直系の弟子筋にあたるシュフダは、その書法を受け継ぎ、後世に伝えた。
シュフダは、ヒジュラ暦574年ムハッラム月の13日日曜日の正午、90歳を越えて亡くなったと伝わる。没年月は、西暦1178年7月である。イブン・アル・ジャウズィーは、その敬虔さと書と慈善を称えた。
同じ年に亡くなった人物
- セバスティアーノ・ツィアニ (1178年)
- サマウアル・マグリビー (1178年(推定))
同じ地域に関係する人物
- イブン・アル=ムカッファ (757年没)
- アブドゥルマリク・イブン・クレイブ・アルアスマイ (831年没)
- アブドッサラーム・アーリフ (1966年没)
- モッラー・サドラー (1636年没)
- アル・ハリーリー (1122年没)